2025.03.15
石川県羽咋市にある
洞谷山永光寺(とうこくさんようこうじ)へ
青年部一歩の会で拝登しました
https://www.instagram.com/p/DG2C0rypMoE/?igsh=MXZzMmZld3R3bWozMw==
永光寺は、永平寺で修行された瑩山禅師さまが加賀の大乗寺から移り、總持寺を開く前の1313年に創建された古刹です
ここには、五老峯という五人の祖師、遺品をおまつりしている大切な場所があります
五人とは、道元禅師さまの師匠である天童如浄禅師さま(語録)、永平道元禅師(霊骨)、孤雲懐奘禅師(血経)、徹通義介禅師(嗣書)、瑩山紹瑾禅師(五部大乗経)です
五老峯は、1323年曹洞宗の法燈をしっかりと伝えるために築かれました
瑩山禅師さまは、8歳で永平寺に登り、三世徹通義介禅師さまにて剃髪され、二世孤雲懐奘禅師さまよら出家得度され、名前を行生(ぎょうしょう)から紹瑾(じょうきん)となりました
18歳で諸国行脚をされ始め、福井の宝慶寺の寂円禅師や、臨済宗や比叡山の天台宗を学び、その後、大乗寺に移られた徹通義介禅師のもとでも修行され、阿波国の城萬寺を開かれます
再び大乗寺へ戻り、1302年35歳の時
徹通義介禅師さまから住持を受け継ぎ二世となられ10年勤められます
1312年45歳で永光寺を、1321年54歳で能登輪島總持寺を開かれます
1324年57歳で永光寺へと戻ります
1325年8月15日夜半に永光寺にて遷化されます
(62歳で遷化された説もあります)
2025.02.22
1995(平成7)年1月17日(火)午前5時46分
阪神・淡路大震災
あれから30年が経過しました
復興の流れと今を現地にて研修する
東京都宗務所主催
「ひと」と「まち」神戸の震災と復興
に途中からですが参加してきました
阪神・淡路大震災の震源は淡路島北部とされ
マグニチュード7.3
関西では1946(昭和21)年の南海地震よりあまり地震がなく、関西では地震は起こらないという神話まであったようで、警戒心が薄く、知識や対応する心得が乏しかったようです
明け方の時間であったことは
多少救われたのかもしれませんが
戦後最悪の極めて深刻な被害をもたらしました
この地震で出現した野島断層
淡路島にある野島断層保存北淡震災記念公園へ
ここでは、断層をそのまま保存されており、地震の凄まじさと脅威を見て感じとることができる大切な場所です いつどこで起こるかわからりませんが、備える大切さ、必要性を感じとれます
短時間で
このように変貌 横ズレが凄いです
下の写真は、元々の地面から断層のズレにより上へと一瞬で隆起したとのこと
防災の基本として
自分の命は自分で守る
そのためにも備えることが大切です
飲み水の保管場所は1ヵ所ではなくいろんな所に
外の物置にも置いておくと良い
破損した物が散乱しているため
絶対に素足では歩かない
足を怪我してしまったら逃げられません
必ず足にはタオルや布を巻いたりして防護保護する事、靴やホイッスル、懐中電灯を近くに置く
但し、地震の揺れにより飛んでいってしまうため紐で掛けておくことを勧められました
ホイッスルは体力の消耗を抑えられ、周囲が報道や消火活動のヘリや車などの騒音があっても音が遠くまで届くようです
2025.02.03
本日2月3日は立春です
これから立夏を向かえる(5月5日)まで春となりますが
明日から今期最強寒波の到来だそうです
45年間教えを説かれてこられたお釈迦さまは80歳
おそらく生まれ故郷へと戻られていたと思います
お弟子の1人阿難(あなん)アーナンダに
(お釈迦さまの付き人であり誰よりも説法を聞いている多聞第一である)
お釈迦さまは2つの大切なの教えを説かれます
1つは、お釈迦さまはおしみなく法(教え)を説いてきた その法は知る知らないにかかわらず、多くの人を支え生かしているものである 教えた法を出し惜しみすることなく多くの人へ伝え実践すれば良いと
もう1つは、自灯明と法灯明の教えを説かれ
灯明は、1つの頼りとなる目印でしょう
心穏やかに生きることは、自分自身の問題でもあります 自分をしっかりと頼りにするように生きること またそれは、しっかりと法(教え)を頼りにする生き方の実践である と
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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