曹洞宗 常圓山 皎月院

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お経

2022.08.28

施財の偈

施財の偈(せざいのげ)とは

供養のお施主さんより施財があったとき

托鉢で施財を受けたときなどで唱える偈文です

「財法二施 功徳無量(ざいほうにせ くどくむりょう)

檀波羅蜜 具足圓満(だんばらみつ ぐそくえんまん)」

財と法との二施は 功徳無量である

檀波羅蜜 具足圓満す

 

布施は六波羅蜜の1つでもあり

梵語では檀那波羅蜜、檀度ともいいます

檀那(だんな)とは施しの意味でもあり波羅蜜には度の意味があります

その度とは煩悩の此岸より彼岸へ渡すという意味です

また曹洞宗の経典である修証義

その第四章にも重要であることが掲げられています

季節

2022.08.22

処暑

8月23日は二十四節気の処暑

暦の上ではそろそろ厳しい暑さが終わる頃です

まだまだ蒸し暑い日が続いておりますが

これから朝晩涼しくなりはじめ、虫の声も良く聞こえてきます。ですが台風の季節でもあり、日本へは来ませんが9、10号が発生しました

その影響でしょうか今週はずっと天気が悪く土曜日は雨模様のようです

法要

2022.08.22

施食会

8月6日麻生区早野の戒翁寺にて

施食会法要を厳修致しました

戒翁寺は

皎月院住職の実家です

私の叔母である先代住職乗雲慈光大和尚亡き後

皎月院住職が兼務しておりますお寺です

 

 

御詠歌

2022.08.15

戦災供養

曹洞宗梅花流詠讃歌には

戦災精霊供養御和讃という曲があります

 

あの日あの時 あの炎

戦火は焼きし 被災地(このまち)に

栄ゆる今日は 帰れども

帰らぬ生命 いかにせん

 

1981年昭和56年に広島での記念大会で発表されました

作詞は赤松月船氏

作曲は細川潤一氏である

 

広島県での大会での発表というのはとても意味が深いと思います

それはもちろん

1945年8月6日に

人類史上初めて戦争で核兵器、原子爆弾が投下された都市だからです

この原爆により14万人以上の人々が亡くなり

3日後には長崎にも投下され

7万人以上が犠牲になりました

更には被爆後5年の間に20万人もの人々が亡くなっております

その多くは一般市民です

戦災精霊供養御和讃の冒頭はこうした悲惨な状況を表現した歌詞となっております

「栄ゆる今日は帰れども 帰らぬ生命いかにせん」

には、戦後の経済復興により

多くの繁栄がもたらされました

その一方では、310万人以上の人々が犠牲になり

もう二度と帰ってこないという悲しさが詠まれております

 

 

 

 

 

季節

2022.08.15

終戦日

1945年8月15日の正午

第二次世界大戦の終戦を昭和天皇より

ラジオ「玉音放送」を通して国民に対し

武器を置き敵対行為をやめるよう「休戦」を語られた日が日本では「終戦記念日」とされております

ですが、ポツダム宣言を受諾した日は8月14日であり、日本がアメリカに降伏文書に調印したのは9月2日であるため

アメリカでは9月2日が終戦記念日となってます

そして1952年昭和27年

日本とアメリカとの平和条約(サンフランシスコ平和条約)により日本の戦争が終結となりました

二度と戦争をしない起こさない国であっていただきたい

同時に戦争は世界中からなくなることを祈ります

 

祖父の遺品より

祖父である戒翁寺31世大乗定彦大和尚も戦争に出向いている

例えば

《昭和17年1月31日より11月31日まで軍艦翔鶴に乗船し

インド洋海戦、サンゴ海海戦参加

米軍機の攻撃を受け大破し退艦

昭和18年3月より8月11日まで再乗艦

ブーゲンビル島航空戦、南太平洋海戦で再び大破し退艦

以後空母瑞鶴・大鳳に乗艦し作戦に参加

戦傷により退艦》

上の写真に明記されていた

そんな祖父は平成20年12月30日

90歳で亡くなった

 

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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