曹洞宗 常圓山 皎月院

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禅のことば

2018.12.23

帰家穏坐

帰家穏坐(きかおんざ)

大本山總持寺を開かれた瑩山(けいざん)さまは
「坐禅は正に家に還ってから穏坐する」
と示されております。
様々な煩悩のなかをさまよう生活から脱して
坐禅にはげみ、本来具えている真実の姿(家)に帰り来て
そこに安住することを云う

禅のことば

2018.12.21

応量器

「応量器」展鉢(おうりょうき てんぱつ)

応量器とは禅僧が食事の際に使う漆器です。
さじや箸などの食器と、五つの鉢が袱紗で一つに包まれています。

展鉢では、器の並べ方や扱い方に作法が決められております。

私が修行に行きました永平寺の僧堂(坐禅堂)は、
基本修行僧以外は入る事ができません。
展鉢は、誰かに見せる為でもなく、
ただ「食」を参究することでできたものかもしれません。
また、食べものを全て頂いた後は、
その鉢 器でお茶を飲み、お湯を注いで使用しました器を洗います。
そのお湯の半分から2/3ほど
皆より桶に集め、集まったものは近くを流れる小川に還します。
鉢に残ったものは全て頂きます。

この作法を覚えることが最初はとてもとても大変でした。
毎度必死でしたので、全く食べた気がしませんでした(汗)

禅のことば

2018.12.21

鐘2

「聞鐘偈」
一聴鐘声 当願衆生 脱三界苦 速証菩提

(意訳)
一たび鐘の声を聴いたならば、まさに衆生と共に、迷いの三界を脱け出して、速やかにお悟りを証します。

禅のことば

2018.12.16

「鳴鐘偈」
三途八難 息苦停酸 法界衆生 聞声悟道
(さんずーはーなん そっくじょうさん
ほっかいしゅじょう もんしょうごどう)

(意訳)
もろもろの悪趣の世界の苦悩や辛酸は終わりをつげ、生きとし生けるものの全ては、鐘の音を聞いて正しい道を悟ります。

大本山永平寺にて撮影

禅のことば

2018.12.09

永平寺七不思議

永平寺には、昔から言い伝えられた「七不思議」があります。

一、夜鳴杉(よなきすぎ)

永平寺の山門へと続く石畳の両側には、五代杉(ごだいすぎ)と呼ばれる巨大な老杉が何本も立っています。
この五代杉が、風の吹く夜に「キィィィィ・・ヒィィィィ・・」と鳴くのである。
昔一人の雲水が門前の娘と恋仲に落ち、夜な夜な永平寺を抜け出しては逢い引きをしていたが、やがて抜け出すことができなくなった頃に、娘のお腹に子どもが宿っていることがわかったという。
そしてその赤ん坊は生まれて間もなく、老杉の根元に捨てられてしまったらしく、
夜に鳴く老杉は、赤ん坊の無念か、娘の悲痛な叫びか・・大梵鐘の近くにある祠は、その赤ん坊の霊を祀っていると言われています。

二、七間東司(しちげんとうす)

禅寺ではトイレのことを東司(とうす)と呼びます。
永平寺では東司に入る際に細かな作法があり、たとえば雲水が着ている黒衣や褥子(べっす)などは必ず脱いでから東司に入らなければなりません。
ある時、若い雲水が急いでいた為か、褥子(足袋)を履いたまま東司に入ってしまい、それが古参の和尚に見つかって激しく叱責されてしまいました。
それを苦に、その雲水は七間東司で自殺してしまいました。
以来、七間東司に幽霊が出るという噂が広まり、奥から二番目の東司は「開かずの東司」となって居ましたが、供養して解体され、再建されて今日に至ります。

三、山門柱の礎石(そせき)

永平寺でもっとも古い建造物は山門です。
その重厚な造りを支える左側、二本目の大きな柱には何故か礎石がありません。
これは、山門を建立した棟梁の娘を「人柱」とした為だと伝えられています。
日本各地には難工事を達成するためや、倒壊を防ぐことを神に祈る意味合いで人柱を立てた伝説がいくつも残っていいますが、永平寺の山門でそのようなことがあったとは到底思えませんが、礎石のない柱は甚だ不思議です。

四、首座単(しゅそたん)の生首

首座とは修行僧の筆頭者、単は「座席」という意味です。
永平寺では年に2回、九十日間「禁足」(一切外出禁止)の修行期間があり、特に首座は厳守しなければなりません。
ある時に任命された首座は、門前の娘と恋仲になり九十日間も娘と会うことができないことに悩み苦しんだその首座は、こともあろうに娘を殺害し、その娘の生首を持ち帰って、自分の単の戸棚のなかに入れておいたという。
やがて生首は、夜な夜な堂内を飛び回り、その首座に憑ついて発狂させたと言われます。
以来、首座の任に当たったものは、寝る前には首から数珠をかけて経文を唱えてから就寝します。

五、中雀門(ちゅうじゃくもん)の手蹟(てあと)

怪力逸話で有名な、拳骨和尚の異名を持つ物外不遷(もつがいふせん)という禅僧が、かつて永平寺で修行をしていた時の話です。
物外和尚があるとき、ささいなことから永平寺の中雀門の柱を平手で叩いたことがあったという。
すると頑強な柱が手の形に窪み、傷蹟として残ってしまいました。
今も中雀門に残る手の形に似た傷蹟は、そのときに出来たものだと言われます。

六、足場くれ

永平寺の伽藍の中心に建つ仏殿。
その仏殿の新築工事中だった明治30年、建築に携わっていた門前大工の富田新左エ門が誤って高所から転落し、頭を強打して亡くなってしまった。
その事故があって以降、仏殿では時折「足場くれ~」という不思議な声(仏殿の天井を飛ぶムササビの声)が響くようになったという。
しかし、そうした騒ぎがあったこともあり、亡くなった大工の供養の意味も込めて、仏殿の左側鴨居には一箇所だけ足場が取り付けられています。

七、二祖国師(孤雲懐奘禅師)の子の刻(ねのこく)点検

二祖国師は高祖大師に侍すること20年、高祖大師滅後も生きておられる時とかわらず、お側を離れずに随侍(ずいじ)されました。
永平寺の朝は早く、夏場は遅くても3時半には起床しています。
そして、一日の修行が終わり修行僧の寝静まったころ、提灯を持って廊下や伽藍などを見回り、特に火の元などを点検は一晩に二度行われますが、この点検には決して出歩いてはいけない時間帯が存在します。
それが、子の刻(午前0時)です。
これは二祖国師が真夜中子刻になると、高祖大師の廟所(びょうしょ)を点検、見廻りされるからであると言われます。
それ故に、承陽殿入口の扉は必ず少し開けておきます。
現在でも役寮(やくりょう)点検の時には、二祖国師とかち会わないようにするという決まりがあります。

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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