曹洞宗 常圓山 皎月院

皎月院TOP > 皎月院副住職 亨龍日記

その他

2022.07.02

清掃

思いたったらやってしまうという

悪い癖があります

この猛暑前にエアコンの大掃除

そして洗濯機掃除

始めは苦難の道でしたが

もう慣れたものとなりました

それぞれ分解は苦労しましたが

最近はYou Tubeという大変便利な動画がありますので助かります

やはり日々使用するものは綺麗に使いたいです

指にある数多くの傷は代償です

次は木登りです

曹洞宗

2022.07.02

三黙道場

私たち曹洞宗の教えでは

三黙道場として

3つのとても大切にしている修行の場があります

日々の生活では欠かすことができない場所でもあります

1つには修行の根本となる坐禅堂

こちらは坐禅、食事、さらには寝る場所でもあります

坐禅堂中心には聖僧さまである文殊菩薩さまがいます

2つ目に浴司(よくす)であるお風呂です

身を清めるためのとても大切な場所です

こちらの仏さまは、跋陀婆羅菩薩(ばったばらぼさつ)です

3つ目は東司(とうす)です

日々必ず使用するお手洗いである便所

身体の調子を整える場として本当に大切です

こちらを護る仏さまは、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)です

季節

2022.07.02

作務

今年は非常に短い梅雨の期間でした

今日で八王子は8日連続の猛暑が続き

日中の境内掃除である作務が体力的にとても辛い日々です

今から20年前、永平寺での修行は日々の規則正しい生活でした。その毎日の中では、朝食である小食の直後から始まる全山を雑巾がけです

雑巾と一体となりひたすらに磨きます

また日中には境内を掃き、草むしりをしたり

夏の今頃は川の中を掃除します

終わりのない掃除の日々です

ですが、この作務こそ永平寺での学んだ大切な事でした

ある昔、慧蔵という僧侶が台所を務めておりました

慧蔵に対して他の僧侶が「お前は台所で何をしているのか」と問います

それに対し慧蔵は「牛に対し餌をやっております」(もちろん牛なんていません)

さらに他の僧侶は「どうやって牛に餌をやるのか」と問います

慧蔵は「牛が脇道に入っていったら、すぐに手綱を引っ張ってきます」と

他の僧侶は「それでこそ、本当に牛に餌をやれるな」と言いました

ここで言う「牛」とは

私たち自身のことでしょう

日々の生活の中で

私を調えたり

私の生活を調え続けるその姿というのは

仏道修行そのものであり、その姿が仏さまなのです

春には多くの華が咲き

夏には沢山の草が生え

秋には色鮮やかに紅葉し

冬には雪が降り始めます

素晴らしい四季折々のあるこの世界に生まれることができた幸せ、たとえ作務が終わることなくとも

自分自身を浄める意味でも

日々作務に身を投じなければならないとも思います

 

 

 

 

曹洞宗 ご案内

2022.06.26

殿様墓

川崎市麻生区早野

曹洞宗 芳林山 戒翁寺

皎月院住職の実家です

947年京都より歌人が下り来て草庵を造り移住したことに端を発するといわれ

1408年出家された順覚が再建したとも言われている

天正年間である1573~1592年に

片平にあります

夏蒐山(なつかりさん)修廣寺(しゅこうじ)

三世貴山玄頓大和尚を御開山とし発足

冨永重吉76歳の時に堂宇を再建し開基となりました。

 

富永重吉は、先祖が宇多源氏系佐々木氏庶流富永で、六角家に仕え六角家滅亡後、北条氏に仕官しました。数々の勲功を立てましたものの、豊臣秀吉に敗れ・北条氏直に従い高野山に登られました。その後、徳川家康により朝鮮の役に召され、兵法、武術に秀でた重吉は、文禄3年(1594年)に都筑郡早野村250石の地を賜り、早野の領主として地を治められました。以後関ヶ原の合戦(1600年)、大阪夏冬の陣(1614・15年)に参加し、屋敷奉行や御鎗奉行として歴任した大旗本であった。1646年12月16日96歳で亡くなり、戒翁寺に埋葬されました。現在もそのお墓は殿様墓として残っております

殿様墓(四基の五輪塔)

都筑(つづき)郡早野村の領主であった富永重吉の一族が眠るお墓である

初代重吉(しげよし)、夫人(北條家の臣高橋和泉守秀治が女)、二代重師(しげもろ)、三代師勝(もろかつ)の四墓

(四基の墓塔右側より)

戒翁寺の開基である主膳即ち重吉のお墓 安山岩製の五輪塔は、高さ222㎝もあり台座は別石ではあるものの、1つの石より五輪が造られているようです。正面にそれぞれ「空・風・火・水・地」の梵字である「キャ・カ・ラ・バ・ア」と刻まれております。

【富永主膳源朝臣安吉 芳林院殿喜翁宗歡居士 正保三丙戌年十二月十六日】と刻まれ九十六歳で亡くなる

二番目のお墓は、重吉の三男である師勝の墓塔です。高さ185㎝程

丸い水輪の球は上下に切られて造られている

【高雲院殿昌岳良繁居士 寛文十二壬子年霜(11)月十九日 (左側)冨永孫左衛門尉泰賢】と刻まれ五十六歳で亡くなる

三番目のお墓は、重吉の妻の墓塔です。重吉のお墓同様に一つの石で造られる

【常姓院殿妙祐禅定大姉 寛文元年七月九日没】と刻まれていたようである歳は不明

四番目のお墓は、重吉の長男である重師の墓塔です。

師勝の五輪塔同様にそれぞれ別の石で造られている

【靈松院殿無岸鐵心居士 寛文二壬寅年極(12)月廿八日 (裏面)御鑓奉行冨永主膳正源光忠 六十歳丙極月廿八日卒】と刻まれ六十歳で亡くなる

 

 

 

 

 

その他

2022.06.23

6月23日

6月23日は沖縄慰霊の日です

昭和20年(1945年)のこの日

太平洋戦争の沖縄戦が終結されたことにちなみ

制定された日です。80日以上にも続いた戦争により一般住民も含む20万人もの犠牲者が出ました。多くの戦没者追への追悼式が行われます

今年は総理も出席のようです

世界平和を願うまでです

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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