曹洞宗 常圓山 皎月院

皎月院TOP > 2021年

禅のことば

2021.03.06

不道

『不道(いわじ)』

余計なことを語らずに今を生きること。

名誉や私利私欲と言ったものから離れ、日々坐禅修行された生活を行っていた

禅宗の僧侶である

道鏡慧端禅師(どうきょうえたんぜんじ)が

死の間際に残された句があります。

「末期一句(まつごのいっく)

死急難道(死は急にして道(いう)ことかたし)

言無言言(無言の言葉を言葉として)

不道不道(いわじいわじ)

 

〜禅は死後の世界について書いたり言ったりしない。大事なことは、言葉や文字にも表現できるものではない。悟りの境地も言葉では言い表せないものである。なので言うことは何もない〜

 

 

禅のことば

2021.03.04

一大事

『法華経方便品』より

一大事とは今日只今の心であります。

もっとも大切、大事なもの。

と言う意味でありますが、

大切な事は人間としての完成であります。

それは、無生心になることが大切なのです。

今現在、心だけでは生きていけない。食べていけない状況のような時代ですが、それでもそれぞれ皆さまの心こそとても大事なのです。

どのようにして利を得るか、どのようにしたら今まで通りにできるか。

確かにとても重要なことではありますが

自然や環境、これからのことも考え

立ち止まり考え

一番大事なものは

と考えて行きましょう。

禅のことば 修証義 道元さまのお言葉

2021.03.02

弥生

3月となりました。

道元禅師さまは

「行持ある一日」を尊ばれました。

「行持ある一日」とは、

仏の教えに従いながら過ごし生きる1日を言います。

また、「1日こそ重要である」と言い

「この1日は大切にしなければならない重要な宝物である」とも言われます。

道元禅師さまの著書である

『正法眼蔵』や曹洞宗の教本である修証義5章の一文に

『この一日の身命(しんめい)は、尊ぶべき身命なり、貴(とうと)ぶべき形骸(けいがい)なり』と

【この一日の命を、仏の教えに任せて生きる、この一日のの身体を、仏の教えに従って生きる、これこそが尊いことである】

私たちは「いま」を生きています

昨日や明日といった過去や未来を思い考えてしまいますが、結局は「いま」の自分であり、自分の思いの中にあるに過ぎない。

この「いま」を大切にして参りましょう。

 

 

禅のことば

2021.02.28

なまぐさ

「なまぐさ」というのは、怒りや慢心

強情、反抗、偽り、ねたみ

大言壮語(ホラ吹き)、高慢なことであり

肉や魚などを食べることがなまぐさなのではありません。

逆に肉や魚などを使わない料理を

「精進料理」ですね。

 

 

お釈迦さまは

「本当のなまぐさとは、悪い心のことである」とされております。

 

御詠歌

2021.02.28

不滅

曹洞宗梅花流詠讃歌に

お釈迦さまを敬い追慕の思いで

詠まれている曲があります。

「大聖釈迦如来涅槃御詠歌」

(だいしょうしゃかむににょらいねはんのごえいか)

略して

【不滅】(ふめつ)

〔歌詞〕

〈ひとたびは 涅槃の雲に いりぬとも

月はまどかに 世を照らすなり 世を照らすなり〉

御詠歌なので五・七・五・七・七

さらに言葉を強調したいのでプラス七。

 

お釈迦さまは、衆生である私たちのために

100歳までとされた命を20年縮められお救いになられた。

または、

一度は入滅され肉体は尽きてしまったが、お釈迦さまの教えは今なお

お経として私たちに御示しになっております。

特に日頃私たちが読む『法華経』の「如来寿量品」にて説かれております。

御詠歌の歌詞の意味は

〈お釈迦さまを輝く月になぞらえて、

明るく照り輝いていた月が厚い雲によってさえぎられてしまい

私たちには直接見ることができなくなってしまったが

月は雲の上では今なおまばゆい光で私たちを照らし続けているのです。

そして私たちの胸の中に教えとして生き続け、人々を導いておられるのです〉

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

カテゴリー

最新の投稿

アーカイブ