2019.03.19
永平寺正門を入って少し上ると、
右手に大きな碑があります。
これは、昭和43年に宮城県梅花講により建てられた碑です。
永平寺七十三世の熊沢禅師の字です。
碑には
『峰の色 渓のひびきもみななが羅
我が釈迦牟尼の聲とすがたと』
御詠歌の曲にもこの詩はあります。
『大本山永平寺第一番御詠歌』(渓声けいせい)です。
この詩は、道元禅師さまが残された「法華経」と題する五首の一首でもあります。
この碑が永平寺入口に建てられた意味が良くわかる文があります。
『ねがはくはわれと一切衆生と、今生より乃至生々(ないししょうしょう)つくして、正法を疑著(ぎじゃく)せじ、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて仏法を受持せん、つひに大地有情ともに成道することをえん』
【正法眼蔵(渓声山色)】より
2019.03.18
永平寺の法堂は、私たちのお寺でいう本堂です。
こちらは1843年(天保14年)に改築されたとされ、
禅師様の説法の道場です。
法堂は、380畳の広さで、中央にはご本尊「聖観世音菩薩」をお祀りし、
階段の左右には阿吽の白獅子が置かれています。
2019.03.18
永平寺の住持(貫主)が御説法される場所が
法堂(はっとう)です。
朝の読経から始まり、
法要の儀式がほぼこちらの法堂で行われます。
この法堂の正面に大きな額がございます。
『法王法』(ほうおうほう)
こちらを書かれたのは、
歴代の禅師さまではなく
有栖川宮幟仁(ありすがわみやたかひと)親王だそうです。
この法王法とは、従容録(しょうようろく)に書かれています。
その従容録とは、中国宋時代の公案集です。
その百則あるうちの一則に
「世尊一日堕座(しんざ)したもう。文殊白槌(びゃくつい)して云く、
諦観法王法、法王法如是と。世尊便(すなわち)下座(あざ)したまう。」
訳:お釈迦様がある日説法の座にあがられました。すると文殊菩薩が槌をカチリと打って申された。「法王の法をはっきりと確認してみると、法王の法はかくのごとし」お釈迦様は、さっと説法の座から下りられた。
この法王とは、お釈迦様のことです。
このように永平寺の法堂は、法王たる住持(今に生きるお釈迦様の応身)が
説法される場所であるので、こちらの額が掲げられているのだと思われます。
2019.03.17
明日よりお彼岸です。
お寺でもお墓参りの生花を販売しております。
1束500円です。
どうぞよろしくお願いします。
今日もお天気が良かったので、
春ですねぇ
梅や桜もキレイに咲いてきております。
2019.03.13
一泊二日間で
布教研修に来てます。
1日目は『修證義』と『現成公案』
修證義では、
私なりの考えもありましたので、
皆さまが法事などでお経として
見て、読んで、理解を少しでも
伝える義務と共に自分の勉強ですね。
先代の祖師さま方や
歴代の住職さま方に代わり
伝えたいと強く思ってます。
うまく伝えれるように考えたいと思います。
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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