2020.09.30
昨日の9月29日、御征忌(ごしょうき)法要の後、大本山永平寺貫首福山諦法(ふくやまたいほう)猊下(げいか)が退董(たいとう)されました。
福山諦法禅師は、2008年4月より永平寺の貫首、曹洞宗の管長に就任されました。
同日付にて大本山永平寺の副貫首であられました南澤道人(みなみさわどうにん)老師が大本山永平寺の貫首に就任されました。
福山禅師による最後のご挨拶は、「感謝の人生だった」と振り返られ、山内の役寮(やくりょう)・大衆(だいしゅ)、 山外からの多くの関係者からの拍手を送る中、永平寺を下りられました。
昨日からの、令和2年9月29日付にて大本山永平寺の新貫首は、南澤道人猊下が永平寺の貫首並びに曹洞宗管長に就任いたしました。
この度の退董に至る経緯ですが、ご高齢などの理由により猊下ご自身からの申し出があったとされております。
永平寺貫首がご生前に交代されるのは44年ぶりであられました
新たに猊下、ご禅師になられたのは、
札幌市中央寺の御住職であられました南澤道人老師(長野県)(93歳)がご就任なされました。
私が永平寺に修行していた時も、監院(かんにん)という立場で私たち修行僧を見守ってくださっておりました。
どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m 合掌
2020.09.28
道元禅師さまの詠まれた和歌の一首で
「無常」と題されております。
梅花流詠讃歌では「月影」という曲名となっております。
『世の中は 何にたとえん 水鳥の
嘴振(はしふ)る露に 宿る月影』
この世の中は無常である。何一つとして一定にとどまること、とどまるものは何もない。
この世の中を何にたとえよう。
たとえば、水鳥がくちばしを振るった時に飛び散るしずくの一つ一つに宿る月の光のようなものなのです。
水鳥がくちばしを振るうことによって、一瞬でも宿っていた月の光の生滅(くちばしに生まれたしずくに宿った月の光)。
この生滅が無常のはかなさにをあらわされております。
道元禅師さまのご生涯では、多くの死別を経験されております。
幼少期では、御両親。臨済禅を学び、共に中国の宋へと行かれた建仁寺の明全和尚さま。
そして生涯の本師である如浄禅師さま。
また多くのお弟子の中で最も期待しておりました僧海の夭折(27歳のようです)
この「無常」を詠まれた和歌は、
大切な人を看取ってこられた道元禅師さまの深い感慨がにじまれております。
2020.09.27
9月29日は両祖忌です。
道元禅師さまがどのような病気にかかられていたのかはわかりまさんが、
最期までお側に寄り添っていられましたお弟子の懐弉さまによれば、
道元さまの着ていた衣までにも血がシミ出ていたようです。
それほどの病に侵されていられました。
その衣ですが、懐弉さまは血をふき取り生地を洗ったのち
継ぎ合わせて日々使用するお袈裟にされたようです。
道元さまのお弟子の前での最後の講義では、
お釈迦さまの最期の教えとしての
『仏遺教経』でした。
このお経は、お釈迦さまが亡くなられる前にお弟子に語った言葉を経典にまとめたものです。
『仏遺教経』には八つの教えが記されております。
その教えを『正法眼蔵八大人覚(しょうぼうげんぞうはちだいにんがく)』にまとめられております。
その最後の締めくくりには
「仏法に出逢うことはじつにむずかしい。しかし幸いにも人間として生まれ、さらには釈迦より後の時代に生まれることが出来たことにより、釈迦の教えに出会えた。これこそ宿世の善根というものである。こうして出会えた以上は何度でも生まれ変わり、繰り返しこの教えを学び、いつか必ず無上の悟りに達して、世の人々のためにこの教えを伝えよう。お釈迦さまと同じように」
お釈迦さまは幾度となく皆を救う仏陀となるためにこの世に生まれ続けられたのです。道元禅師さまも生がここで終わるのではなく、これからもお釈迦さまを慕い、さらにはこれからも仏道を歩みつづける気持ちがつづられております。
『八大人覚』は、お釈迦さまの最期の教えであり、道元禅師さまの最期の教えでもあります。
南無高祖承陽大師 道元禅師
南無太祖常済大師 瑩山禅師
2020.09.24
大本山永平寺では、昨日の9月23日から29日にかけて
大本山總持寺では、10月12日から15日にかけて
各大本山にてでは
毎年、道元禅師さま瑩山禅師さまのご供養をしております。
この期間を本山では、「御征忌(ごしょうき)」と呼んでおります。
各地の各寺院では、9月29日を
「両祖忌(りょうそき)」と呼んでご供養しております。
お二人のご命日はそれぞれ違う時期でありました。
道元禅師さまは、1253年8月28日 54歳
瑩山禅師さまは、1325年8月15日 62歳
と違うのですが、これは旧暦・太陰暦です。
明治以降では、西洋の「太陽暦」という太陽の動きに合わせた暦を採用することになりました。
そのため旧暦の日付の読み替えが行われた結果
同じ9月29日となられました。
こんなことあるんですね( ゚Å゚;)
駒澤大学付属高校の一佛両祖(いちぶつりょうそ)です
2020.09.24
「五戒」(ごかい)とは、
男女を問わずに、在家の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒(いましめ)のことです。
一、不殺生戒(ふせっしょうかい)
無益な殺生はしないことです。
生き物を悪意を持って殺してはならないことです。
ニ、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
他人のものを故意に盗んではいけないことです。
不正な利益や所得をはかってはならいのです。
三、不邪婬戒(ふじゃいんかい)
不道徳な性行為を行ってはいけません。
性に溺れて自身を見失しなっては特にいけません。
四、不妄語戒(ふもうごかい)
嘘をついてはいけません。
他人に偽りのことを語っては良くありません。
五、不酤酒戒(ふこしゅかい)
お酒で心を乱してはいけません。
迷いの末に、お酒に溺れてはいけません。
お釈迦さまが最後のご説法で語られたとされる
「仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)」これを『遺経(ゆいきょう)』と、
略して私たちは言っておりますが
このお経の冒頭に説かれていることは
「戒を尊ぶ」ことです。
「汝等比丘(なんだちびく)、我が滅後において、当に波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を尊重(そんぢゅう)し、珍敬(ちんぎょう)すべし。
闇(あん)に明(みょう)に遭い、
貧人(びんにん)の宝を得るが如し。
当に知るべし、此れは則ち是れ汝が大師なり。
若し我れ世に住するとも、此れに異なることなけん」
まず「波羅提木叉」とは
インドの言葉で「戒律(かいりつ)」を意味します。
【私が死んだ後は、私の残した戒律を大切にお守りなさい。それは闇夜の光明であり、貧しい人にとっては財宝でありましょう。この戒律こそ、あなたや皆さまの大いなる師です。もし私がこの世に生きていたとしても、この戒律以上のことを皆に教えることはもうありません」
この戒律は、自分が正しい行いをするためにありますが、同時に他の人のおこないを妨げない、そして邪魔をしないということでもあります。
最近では
「バレなければよい」との風潮がメディアを通してでも特に蔓延している現状でありそうですね。
お釈迦さまの教えである
「五戒」を当たり前のこととしていただき、仏教徒としての正しい教えを受け止め、謙虚に歩んで行きたいものですよね。
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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