曹洞宗 常圓山 皎月院

皎月院TOP > 禅のことば

禅のことば

2020.12.20

参禅は道心

坐禅を行じることが、そのまま道心であるということ。

この「道心」とは、仏道を目指すことであったり、悟りを求めることです。

道元禅師さまが書き残されました書物である、『正法眼蔵』の「道心」という巻の冒頭にて、

「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし」

とありました。

自分が志しや目標を持って何かを行う時には、決心を常に持って行わなければ、必ず挫折してしまうことでしょう。

長い時間をかけてもかまわないと思います。

私も、とても苦手である音楽を始めました。

それは曹洞宗の御詠歌です。

曹洞宗梅花流詠讃歌を軽く考えてしまい、2年間で習得できる養成所へと入所し始めてしまいましたが、とても奥が深くメロディも簡単ではありませんので、音楽の苦手な私は常に落ちこぼれでした。何とか合格を頂き卒業できましたがとても苦痛の日々でした。いつやめてしまおうか挫折間近でした。

やめることは本当に簡単です。

ですが、やり直すことは心身厳しいです。

私は、御詠歌を通して仏さまの教えを学び、それを皆さまに伝えたいと思うことが何よりも続ける向上心でした。

それが『道心』だったのです。

『参禅は道心』

坐禅ではありませんが、常に諦めず努め続けること。

また、打ち込む時の心持ちが、「道心」でもあります。

下手なら下手なりに皆さんよりも努力しなければ上達もしないのは解ってましたので、恥は承知で多くの先生方にご指導頂きました。もちろん楽しみも兼ねながらです。さらには、ご指導いただける先生にも恵まれていました。ありがとうございます。

コロナ禍でも道心を忘れずにしていきましょう

 

 

 

禅のことば 行事

2020.12.08

摂心

今朝八日にて

臘八摂心(ろうはつせっしん)《臘月=師走の八日、摂心=心静かに座る坐禅》は終わりましたが、

明日九日は、

中国禅宗の二祖である慧可大師(えかだいし)が、

(初祖は達磨大師です)

達磨大師のお弟子になられる決意を現したとされる

<臂を断つ>「慧可断臂(えかだんぴ)」の故事にならい、

瑩山禅師さまの頃より始まられた徹夜坐禅。

【我々も仏道への志を更に起こす必要がある】

因に

成道会の法要は、道元禅師さまより伝わり、今日に至ります。

禅のことば 法要

2020.12.08

成道会の疏

本日

成道会法要を青年会でとりおこないました。

法要中お釈迦さまへの敬愛なる言葉、疏をお唱えしますが、

その内容の一部を取りあげたいとおもいます。

 

「衆生のまよい」

と言われている1文章があります。

『蓋(けだ)し衆生、如来の智慧徳相(ちえとくそう)を具すること有るも、

若し大覚(だいがく)、衆生の迷悟を示すの方便無くんば、

演若(えんにゃ)の狂性(きょうせい)歇(や)み難く、力士の額珠(がくじゅ)永く忘れん』

意訳として

【まさしくこの世のすべてのものは、もともと如来とおなじように智慧をもち、仏性という万徳円満の姿をもっているにもかかわらず、三毒である貪瞋痴(とんじんち)によって、真実を見失っているのです。

それでも、お釈迦さまが、この世の生きとし生きる衆生に対して、迷ってしまったり、迷った原因、その迷いの脱却、迷いからの脱却後の生き方、方法。このような縁起(四諦)のみちびきを、仏陀となられたお釈迦さまによってお示しがなかったとしたならば、

演若(エンニャダッタと言う人物)が、鏡に写る眉目をみて喜んでいた(ナルシスト?)が、鏡が無くては自分の眉目をどうしても見ることができず、自己を見失い狂い走ってしまったという。<演若狂性>

(対句の文書)

また、もともと眉間に有していた金剛珠のある力士が相撲をとったところ、頭を打ち付け珠が額にめり込んでしまった。力士は金剛珠を失ってしまったと思い込み悲しんでいたが、良医が鏡をもって照らしたところ、額にあるのを見て喜ばれたとされたように。<力士額珠>

この世の病を、お釈迦さまの教え(法=薬)がなかったとしたならば、私たちの心は三毒に侵されてしまい、心の安心(あんじん)を欠いてしまっていたであろう】

そして、次の文へ

お釈迦さまが成道された意義として、

『今大地有情(いまだいちうじょう)の成道を聞いて、

新たに本有仏性(ほんぬぶっしょう)の正因を明らむ』

【今、明けの明星の輝くなかで、私も大地もあらゆる生き物すべてのものが同時にさとりを開き、仏性はありとあらゆるものがそなえもっているんだという、正しい縁起を明かにすることができえたのです。】

 

《出山図》

 

禅のことば 行事

2020.12.07

明星

明日の8日は、成道会です。

お釈迦さまは、明けの明星の輝く頃に覚られました。

金星が明けの明星と呼ばれるのは、

夜明け前からうっすらと空が白んでくる時間帯にかけて、金星がひときわ明るく輝くためとされてます。

さて、明朝は晴れるだろうか?東の空に見ることができたらうれしいですね。

また金星には、「宵の明星」という呼び名もあります。

同じ金星ではありますが、宵の明星が見られるのは、夕刻から日が沈んで間もない頃です。

日が沈んで最初に見える星を「一番星」といいますが、ほとんどが、一番星といえば宵の明星であると思ってもよいでかと思います。太陽や月を除けば、金星は最も輝いて見える星です。

禅のことば

2020.11.15

食事の最後に

食事の最後にお唱えする偈文

『処世界梵』または『後唄』

と言っております。

 

『處世界如虚空(ししかいじきくん)
如蓮華不著水(じれんかふじゃしい)
心清浄超於彼(しんしんじんちょういひ)
稽首礼無上尊(きしゅりんぶじょうそん)』

【世界に処すること虚空の如く、
蓮華の水に著かざるが如し。
心の清浄なることは彼よりも超え、
稽首して無上尊を礼してたてまつる。】

三毒の欲を取り除き、仏さまのこころは、澄みわたった大空のようであり、美しい蓮の花が決して泥水に汚されないようである。心が清らかであれば、美しい花よりも麗しいものであり、その心のままお釈迦さまへ帰依することも礼拝すること自然とされることでしょう。食事をいただける歓喜は、慈悲・慈愛に満ちあふれ、感謝せずにはいられません。

日々の食事、三度の食事本当にありがとうございます。

合掌。

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

カテゴリー

最新の投稿

アーカイブ