曹洞宗 常圓山 皎月院

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曹洞宗 ご案内

2022.06.26

殿様墓

川崎市麻生区早野

曹洞宗 芳林山 戒翁寺

皎月院住職の実家です

947年京都より歌人が下り来て草庵を造り移住したことに端を発するといわれ

1408年出家された順覚が再建したとも言われている

天正年間である1573~1592年に

片平にあります

夏蒐山(なつかりさん)修廣寺(しゅこうじ)

三世貴山玄頓大和尚を御開山とし発足

冨永重吉76歳の時に堂宇を再建し開基となりました。

 

富永重吉は、先祖が宇多源氏系佐々木氏庶流富永で、六角家に仕え六角家滅亡後、北条氏に仕官しました。数々の勲功を立てましたものの、豊臣秀吉に敗れ・北条氏直に従い高野山に登られました。その後、徳川家康により朝鮮の役に召され、兵法、武術に秀でた重吉は、文禄3年(1594年)に都筑郡早野村250石の地を賜り、早野の領主として地を治められました。以後関ヶ原の合戦(1600年)、大阪夏冬の陣(1614・15年)に参加し、屋敷奉行や御鎗奉行として歴任した大旗本であった。1646年12月16日96歳で亡くなり、戒翁寺に埋葬されました。現在もそのお墓は殿様墓として残っております

殿様墓(四基の五輪塔)

都筑(つづき)郡早野村の領主であった富永重吉の一族が眠るお墓である

初代重吉(しげよし)、夫人(北條家の臣高橋和泉守秀治が女)、二代重師(しげもろ)、三代師勝(もろかつ)の四墓

(四基の墓塔右側より)

戒翁寺の開基である主膳即ち重吉のお墓 安山岩製の五輪塔は、高さ222㎝もあり台座は別石ではあるものの、1つの石より五輪が造られているようです。正面にそれぞれ「空・風・火・水・地」の梵字である「キャ・カ・ラ・バ・ア」と刻まれております。

【富永主膳源朝臣安吉 芳林院殿喜翁宗歡居士 正保三丙戌年十二月十六日】と刻まれ九十六歳で亡くなる

二番目のお墓は、重吉の三男である師勝の墓塔です。高さ185㎝程

丸い水輪の球は上下に切られて造られている

【高雲院殿昌岳良繁居士 寛文十二壬子年霜(11)月十九日 (左側)冨永孫左衛門尉泰賢】と刻まれ五十六歳で亡くなる

三番目のお墓は、重吉の妻の墓塔です。重吉のお墓同様に一つの石で造られる

【常姓院殿妙祐禅定大姉 寛文元年七月九日没】と刻まれていたようである歳は不明

四番目のお墓は、重吉の長男である重師の墓塔です。

師勝の五輪塔同様にそれぞれ別の石で造られている

【靈松院殿無岸鐵心居士 寛文二壬寅年極(12)月廿八日 (裏面)御鑓奉行冨永主膳正源光忠 六十歳丙極月廿八日卒】と刻まれ六十歳で亡くなる

 

 

 

 

 

曹洞宗 道元さまのお言葉

2022.06.16

教え

曹洞宗の教えとは

『修証義』を宗典としております。修証義は曹洞宗の教義である「四大綱領(しだいこうりょう)」について書かれている経典です。道元禅師さまが書き記された『正法眼蔵』の本文をもとに編集され、明治23年(1890年)12月に公布されたものです。

四大綱領とは

・懴悔滅罪(さんげめつざい) 仏教を信じて、自分を見つめ反省し、迷いのない生活をしていこう

・受戒入位(じゅかいにゅうい) 生活上の規範を守りながら、正しい毎日を送っていこう

・発願利生(ほつがんりしょう) 自分だけの事を考えずに、いつでも周りの人々の幸せのために生きていくことを心掛けていこう

・行持報恩(ぎょうじほうおん) 仏教の教えを学び、その教えを実践しながら、感謝の心を持って生活していこう

曹洞宗 法要 行事

2022.05.13

晋山結制

八王子市山田町

五重の塔が目印の

天海山雲龍寺さま

14.15日で御住職さまの決意、披露である

晋山式をおこないます

今年度から

八王子を中心とした曹洞宗青年部の会長となり

初仕事がいきなり研修ではなくイベントとなりました

(特に大本山總持寺猊下となられた石附周行禅師さまの来山がありますので、身が引き締まる思いです)

曹洞宗 観音さま 仏さま

2022.05.02

十一面観世音菩薩

曹洞宗の専門修行道場であり

大本山永平寺の東京別院である

補陀山長谷寺(ほださんちょうこくじ)

こちらは

(港区西麻布にあります)

徳川家康公の幼馴染であった

門庵宗関(もんなんそうかん)大和尚によって建立され

法堂の本尊さまに釈迦牟尼仏

そして文殊菩薩と普賢菩薩が安置されております

さらには観音霊場としても

観音堂には

三丈三尺もの十一面観世音菩薩である麻布大観音が安置されております

(正徳6年〈1716年〉二丈六尺の観音さまが建立されましたが、昭和20年〈1945年〉戦火にて消失

樹齢600年の楠を10年かけ一本彫りをされ

昭和52年〈1977年〉完成

仏師 大内青圃(おおうちせいほ)の最後の大作となりました

鎌倉の長谷寺(はせでら)同様

左手に蓮華の瓶(水瓶)を持ち

右手には数珠をかけ錫杖を持ち

右足を半歩前進する独特の姿は長谷式と言われております

さらには

観音さまとお地蔵さまの徳を持つとされておれます

高さ三丈三尺で約十メートルなので

木造としては国内最大級の観音さまの像です

ぜひとも渋谷、六本木、表参道

近くへ来たとき、行くときには

参拝へとお寄りください

 

曹洞宗

2022.04.18

告諭

ご案内が遅くなりましたが

本年の曹洞宗が掲げる目標を

曹洞宗管長

大本山總持寺 石附周行禅師さまより

頂戴いたしました

 

『今、私たちは多くの困難と不安に直面し、その生き方が問われています。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、多くの尊い命が失われ、人びとは深い混迷の中にいます。国際紛争や内戦、貧困・差別・格差・いじめ・命を奪う事件などの社会問題、近年頻発する自然災害・地球環境の変動などは、私たちに生存の危機をもたらしています。

一仏両祖のみ教えに生きる私たちは、どのような生き方を目指せば良いのでしょうか。

お釈迦さまは智慧と慈悲をもって生きることを示されました。智慧とは万物に生かされている生命いのちの真理に気づく力です。慈悲とは限りないいつくしみの心をもって人びとの苦しみを除き安楽に導くことです。この時、私たちはさまざまな立場を認め合いながら、寛容になれるのです。

瑩山禅師は「たとい難値難遇の事有るも、必ず和合和睦の思いを生ずべし」と示され、人びとの悲しみも苦悩も我が事のように受け止め、相和して生きることをお説きです。

本年も四摂法(ししょうぼう)の「同事」を実践の柱として、分かち合い、支え合い、思いを重ね合って、人と人との繋がりを深めてまいりましょう。

道元禅師は「この法は、人人の分上にゆたかにそなわれりといえども、いまだ修せざるにはあらわれず」と示され、み教えを、ていねいに日々の生活の中に生かしていくことをお諭さとしです。

仏さまに手を合わせ、坐禅に親しみ、世界中の人びとが誰一人取り残されることなく、安らかに暮らせるよう、祈り、念じ、皆ともに菩薩行を進めてまいりましょう。

令和六年には大本山總持寺開山太祖瑩山紹瑾禅師七〇〇回大遠忌が奉修されます。この遭難きご法縁を感謝しともどもにご信心をさらに深めていただくことを願ってやみません。

合掌

南無釈迦牟尼仏 南無高祖承陽大師道元禅師 南無太祖常済大師瑩山禅師】

 

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皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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