2020.09.17
『無尽蔵(むじんぞう)』
実はゴールはないのです。
日課の散歩であっり、
トレーニングにしても
ゴールや目標は誰しにもあるかと思います。
ですが、ゴールに近づくにつれ気持ちが崩れてしまいます。または、ゴールするまで頑張れる方もいるかもしれませんが、
仏教というものを学べば学ぶほど
とっても遠くて近きは男女の仲感じてしまうのは
私だけではないかと思っております。
ですが、學べば学ぶほどゴールが遠ざかるということは、それほどお釈迦さまの教えというのは、
本当に素晴らしい教えであり、智慧であるとおもっております。
《仏教の教えは無尽蔵です》
2020.09.14
良寛さんファンの一人として
夏目漱石さんがいます。
明治を代表する言わずと知れた小説家ですね。
夏目漱石さんは、
「良寛を得る喜びに比ぶれば悪筆で恥をさらす位はいくらでも辛抱つかまつる」
と書き残すほどの思い入れがあります。
良寛さんは、1758年~1831年に生きられた詩人の僧侶として有名です。本名は、山本栄蔵と言われております。僧侶としての号は、大愚。新潟県の出雲崎の生まれとされております。
生家は、石井神社の祠職と名主職とを兼務されており、父は、俳句に親しまれておりました。
この時代は、とても自然災害が多く、火災や台風、伝染病の発生に浅間山の大噴火など次々と起こった時代でした。
出家は18歳の時だそうです。岡山県倉敷の円通寺の国仙和尚に師事され、修行されながら諸国をまわられました。
「日がな一日、村の子どもと鞠つきわして遊んでいる僧」
として
『霞立つ 永き春日を こどもらと
手まりつきつつ けふも暮らしつ』
2020.08.28
24日は懐奘さま、28日は道元さまのご命日です。
道元さまより2歳年上の懐奘さまですが、
一生涯を道元さまに尽くされました。
懐奘さまは、
比叡山で修行されたのち、当時、禅を広めていたのは栄西さまの臨済宗と大日房能忍が開いた達磨宗でした。初めにこの達磨宗に入りました。
京都建仁寺法堂 建仁寺法堂(はっとう)内部
ですが、帰国された道元さまに会うため建仁寺を訪れ、仏教の教えについてさまざま問答されたそうです。1234年深草に庵を構えた道元さまに正式に弟子入り、侍者(じしゃ)として身の回りのお世話をし、受けた教えはについては『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』としてまとめられております。また、道元さまの書き残された『正法眼蔵』や多くの言葉が残されてあるのは、懐奘さまの熱心な書写があったからです。
南無高祖承陽大師 道元禅師
2020.08.26
8月24日は永平二祖孤雲懐奘(こうんえじょう)さまのご命日でした。
弘安3年(1280年)83歳のご生涯でした。
日頃から日記をしたためておりました懐奘さまは、「今日、予、既に死す」と書かれていたと伝えられています。また、道元禅師のご命日の8月28日に近く、亡き後も道元禅師さまに、孝順を尽くしたいと願ってもおられました。
2020.08.23
大本山永平寺の佛殿(ぶつでん)
お釈迦さまの居る建物です。 内側はこのように須弥山(しゅみせん)をモチーフに須弥段といわれる上に佛さまを奉ります。
これは、お仏壇とも同じです。
ご自宅のお仏壇をよーく見てみてください。
『祈祷』
は世界平和や皆さまの祈願を願う場所でもあるからです。
正面より
この奥の建物は、本堂(ほんどう)と一般に言われている法堂(はっとう)があります。
曹洞宗の大本山永平寺では、観音さまを安置しております。
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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