曹洞宗 常圓山 皎月院

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曹洞宗 瑩山さま

2021.01.26

生死

(正治2年1200年1月2日)陽暦1月26日は高祖常陽大師道元禅師さまの降誕会です。

 

《不自由な処より生じ、不自由の処に向って死し将ち去る。唯だ是れ此の愛に依れり》

『不自由な所より生まれ、不自由な所に向かってまさに死んでいくものは、正しくはこの愛によるのである』

《太祖常済大師瑩山禅師さまのお言葉》

仏教で説いています「愛」とは、一部を除きますと、物やお金、異性や名声など多くの物への《執着心》を意味しております。

その執着心から離れることが最善ともされます。

昨日は弟の小練忌(三十五日)でした。

また本日は叔父の祥月命日でもありました。

四苦八苦の1つでもある”愛別離苦”があります。

《愛する人ともいつかは別れなければならない》

愛する人との別れは、必ず苦しみに縛られ苦悩をも大きくします。

自分ではわからない程の執着に気づき

少しでも解放する努力も必要なのかもしれません。

そのためにも、仏さまやご先祖さま愛する人を

“敬い慈しむ”ことを念頭に

しっかりと掌を合わせて

頂ければと思います。

 

曹洞宗

2021.01.22

供養とは

本日は弟の月命日の22日

まだ、四十九日(大練忌)前の中陰期間ではありますが、一日一日、一歩一歩進んでおり、1ヶ月が経ちました。

インドでは輪廻するという思想から、人が亡くなると七日ごとに裁きを受け、次の生が決まるという。

今は、中陰の期間中には仏道修行しながらお釈迦さのもとに到るまで一歩一歩精進するとされております。

励ましのためにも日々掌を合わせ、お香を手向けます。

薫物屋香楽のお線香

本伽羅入り 【時のまぼろし】

 

 

禅のことば 曹洞宗

2021.01.20

懺悔とは

弟が亡くなってから間もなく1ヶ月。

悔しくても、悲しくても

戻ってこない。

私たちにできることは

今まで過ごした日々を想い

掌を合わせること

安らかにと願うことなのだろう

【懺悔(さんげ)】

過ぎ去ったことはやり直すことはできない

自らを省み

これからのことをあらためて誓う

『懺悔文』

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)

皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)

従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)

一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

《これまでの行いのなかで生じたいくつもの罪悪は

自分の心に潜む欲と怒りと愚かさが原因となり

行いと言葉と意識によって生じたものであり

今そのすべてを仏さまの前において懺悔します》

曹洞宗

2020.11.06

總持寺移転

曹洞宗大本山總持寺は、1321年(元亨元年)

能登(石川県)の地に瑩山禅師さまによって開かれました。

以来、能登にあって人々の信仰を集めてきましたが、

1898年(明治31年)4月13日午後九時から

14日午前2時まで、5時間にわたる火災により伽藍(がらん)の大部分が焼失したのを契機とされ、

時代の推移と宗門の要請により1911年(同44年)に横浜鶴見の地へ移転されました。

2011年(平成23年)は、總持寺が横浜に移転して100年目の節目にあたりました。

 

ですが、調べていきますと移転の原因は明治政府による

宗教政策である神仏分離令やそれに伴う廃仏棄釈が行われ、日本仏教史上最大の法難であったともされます。

経済的にも1871年(明治4年)に行われた社寺領上地令により、

寺領の四百石も政府に没収されてしまう。

また、多くの援助を受けていた前田家からも途絶えてしまったからでもあるようです。

それにより多くの借金をされてもいます。

消失カ所は、仏殿、法堂などのメインや修行する大部分が消失してしまいました。

1590年(天正18年)と1806年(文化3年)にも火災により被害は甚大でした。

幸いなことに、経蔵や宝蔵が消失しませんでした。助かりました。

明治44年11月5日に、

移転遷祖式として当時の總持寺禅師さま石川猊下により法要が行われました。

それからは、11月5日を總持寺御移転記念日とされております。

曹洞宗

2020.10.28

承陽塔銘

峨山禅師の撰文です。

風化や損傷がひどく、昭和45年(1970年)9月29日に復刻再建されたものです。

【読み方】

越前の国志比庄吉祥山永平全般的寺は、佛法禅師道元和尚開闢(かいびゃく)の真跡(しんせき)にして、勅許紫衣を賜うの法窟、日本曹洞根起の大本山なり。二世懐奘及び徹通、吾が先師瑩山に到って四世、正法展々、支葉聯綿(しようれんめん)たり。その徒皆宗乗を演暢(えんちょう)し権実兼ね行ふ。吾また瑩山の示誨を受け、肇めて永平の的意を得たるなり。吾が法徒たる太源・通幻・無端・大徹・実峰すべて玄門を遠く邇(ちか)く闢き、法輪の枢機を執ふ。諸宗服膺(ふくよう)する者海の湧くが如く、為に鳥を駆る者雲の従うが如し。ああ世尊の正法眼、扶桑揚げて赫々たるは、おさめて元和尚傑出の故なり。故に児孫は深く永平の禅味を甘ひ、各自法乳の恩を知りて、長くまさに祖山の栄光を憶ふべし。もし、真跡をして、荒撫(こうぶ)の地に著(つ)かしむる者は、永平の児孫たらず。菩薩の子は勉むべし。

貞治二年(1363年)八月二十八日

古佛第五の法孫峨山、再び塔を礼して香を焚き謹んで記す

 

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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