曹洞宗 常圓山 皎月院

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曹洞宗

2020.10.24

峨山石

峨山石(がさんせき)とは、

大本山永平寺内の承陽殿の前に、承陽塔銘碑(じょうようとうめいひ)とも呼ばれている石碑があります。たぶん知っている人は少ないかとも思います。

まずはこの承陽殿とは、道元禅師さまをはじめ、

二祖であられます孤雲懐奘(こうんえじょう)さま、の墓所であり、三世徹通義介(てっつうぎかい)さま、四世義演(ぎえん)禅師、

五世義雲(ぎうん)禅師さまの五大尊や永平寺の歴代住職さまのお位牌や開基の木像・お位牌などを祀られている建物です。

 

峨山禅師さまは、1363年、(永光寺の3回目の住職を努められた年)道元禅師さまが亡くなられた110年後に、永平寺にお参りされた記述が残されております。その証が峨山石として残されております。

 

曹洞宗

2020.10.24

總持寺二代

峨山禅師さまの六百五十回大遠忌法要を

平成二十七年に總持寺にて奉修されました。

最期にお弟子に遺されたお言葉

遺偈は、

『合成皮肉   九十一年

夜来依   身横黄泉』

読みとして

「合成(ごうじょう)の皮肉(ひにく)

九十一年(くじゅういちねん)

夜来(やらい)旧(ふる)きに依(よ)りて

身を黄泉(こうせん)に横たう」

意味として

【九十一年生きたこの身のまま、

何の執着もなく、泰然(たいぜん)自若(じじゃく)として、あの世に身を横たえる】

 

 

 

 

曹洞宗

2020.10.23

峨山禅師

今月10月はとても忙しい月なのです。

九月末の永平寺での道元禅師さまの命日のお参りが終わると、東京の永平寺別院や總持寺、能登の總持寺祖院。10月5日の中国に禅を初めて伝えた達磨大師のご命日。九月十四日は、永平寺三世徹通義介禅師さまの御命日なのですが、10月14日におこなってます。

そして、大本山總持寺の基礎を築かれた

峨山禅師さまの御命日が十月二十日です。

峨山禅師さまは1366年(貞治6年)91歳で亡くなられました。

峨山禅師さまは、總持寺に40年余りの他、永光寺に三度住職をされてもいます。

また伽藍を整備されたり、数多くのお弟子を育てられ「五哲(ごてつ)」や「二十五哲」と称する素晴らしいお弟子により、總持寺の発展に貢献されました。

そのお一人の「通幻寂霊(つうげんじやくれい)大和尚」さまからの系統が分かれ分かれてもおりますが、皎月院につながり、

現住職である

文泰和彦(ぶんたいわげん)大和尚は、

お釈迦さまから数えますと86代目であり、

道元禅師さまから三十四代目。

皎月院が1576年に開かれてますが、

いまは二十一代目(昭和63年10月に晋山式)でもあります。

 

 

曹洞宗 瑩山さま

2020.10.20

瑩山さま

10月は両祖忌(りょうそき)の法要をするお寺が多くあります。

今の陽暦では、道元禅師さまも瑩山禅師さまも9月29日ですが、お彼岸がありましたり、両大本山や永平寺東京別院、總持寺祖院での法要随喜(参加)のためかもしれません。

瑩山禅師さまの最期の詳細というのは、

1324年(正中元年)瑩山禅師さま61歳

能登の總持寺二世を峨山韶碩(がさんじょうせき)禅師を住職にされ、瑩山さまは、永光寺(ようこうじ)へ戻られます。

1325年(正中2年)死期を自覚されていたのか、

『永光寺相続文』などを記されました。

瑩山禅師さまが五哲という、五人の素晴らしいお弟子さまをそだてられました。その一人を總持寺へ。またもう一人を永光寺へと。

「相続文」により、お弟子や孫弟子が、力を会わせ永光寺を守っていくようにとの大切な文であり、これによって永光寺はもちろんのこと、總持寺や多くの寺院の運営の基礎となり、今の曹洞宗の発展へと繋がることにもなりました。

八月一日に永光寺住職を

明峰素哲(めいほうそてつ)禅師に譲られ、八日には就任の晋山式(しんさんしき)をされております。

 

 

 

曹洞宗

2020.10.15

徹通義介禅師さま

道元禅師さま亡き後

永平寺の二世に懐奘禅師さまが就任され、

義介禅師さまは禅寺視察のため京都や鎌倉へ。また如浄禅師さまの三十三回忌に当たる1259年に宋へ行かれました。現地の諸寺を訪れ伽藍(建物)や修行内容を今一度学ばれ帰国されました。

 

永平寺に戻るや、懐奘禅師さまの後任として三世として住職になられました。

そして伽藍や禅寺の礼儀作法、鳴らし物の作法、読経作法、法要作法など多くの改革をされました。

しかし、諸事情により永平寺の住職から退きます。

その後、加賀の豪族であった冨樫家尚(とがしいえなお)らの帰依を受けまして、東香山 大乘寺の御開山 として就任されます(1293年晋山式)

 

この大乘寺にてお弟子であった瑩山禅師さまを育てあげ、住職を瑩山禅師さまへとゆずられました。

延慶2年(1309年)の9月14日  命日

遺偈(遺言)は

「七顛八倒  九十一年

蘆花、雪を覆い

午後、月円かなり」

を残され91歳で亡くなられました。

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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