曹洞宗 常圓山 皎月院

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曹洞宗

2020.10.14

永平寺三世

今日は大本山永平寺の三世であり

石川県金沢市にある

東香山 大乘寺(とうこうざん だいじょうじ)の御開山を務められた

徹通義介(てっつうぎかい)禅師忌です。

正確には、1309年 (延慶2年)9月14日が御命日

91歳のご生涯でした。

義介禅師は、福井県の生まれであり、13歳で地元の波著寺(はじゃくじ)で達磨宗の懐鑑(えかん)について出家され、比叡山へ上られたのち、達磨宗や天台宗、浄土宗の教えを学んでいます。

1241年深草の興聖寺へ 達磨宗の門下とともに道元さまの下で修行され始めました。

ですが、達磨宗の嗣書(ししょ)や大切な相承物などを懐鑑老師より授けられてもおりました。達磨宗の門下でしたが、道元禅師の下でずっと修行されており、道元さまが京へ病気療養のために向かう際には、病気が回復し永平寺へと戻れたのならば、嗣法を許すともされておりました。(道元禅師さまの受け継いだ証)

義介禅師との別れ際に道元さまは

『但だ汝、老婆心なし。これ又た自然に調うべし。汝、遺忘することなかれ』

と忠告をされたとされます。

努力家である義介禅師には、

他人を思いやる 利他行 が欠けているということです。

京から戻ることが叶わなくなってしまい

道元禅師さまから直接法を受け継がれたのは懐奘禅師さまただ一人となってしまいました。

 

遺偈は

「七顚八倒  九十一年

蘆花は雪に覆われ

午後  月円かなり」

 

石川県金沢市の大乘寺に義介禅師さまの搭(お墓)を西北隅に建て、定光院と称しております。

 

曹洞宗 行事

2020.10.05

達磨大師

本日10月5日は

震旦初祖円覚大師(しんたんしょそえんがくだいし)菩提達磨大和尚(ぼだいたるまだいおしょう)の御命日

達磨忌(だるまき)とも言ってます。

達磨大師は、初めて中国へ禅を伝えた方であり、

お釈迦さまから28代目であります。

道元禅師さまは、中国へわたり50代目の如浄さまより法を受け継ぎ51代目となり帰国。

私たちの生活の中で、人から皮肉を言われたり人に皮肉を言ってしまいます。

この「皮肉」と言う言葉は、

遠回しに意地悪いことを言うことで、嫌みともなります。ですが、仏教でいう「皮肉」とは、仏教の根本理念に対する表面の皮のことで、いわば幹に対する枝の部分かもしれません。

「枝」、つまり枝葉末節の部分ばかりを見て、肝心要の幹の部分をおろそかにしていることを遠回しに「皮肉を言う」というようになりました。

また熟語でも「皮肉骨髄(ひにくこつずい)」があります。

これは皮と肉と骨と髄で、身体のすべてのことをあらわしつつも、信念とか思想、行動などのすべてをひっくるめての言葉です。その人やその人の性格であったり、人間の本質のことでもあります。

何を学んで行くにしても、大切な真髄を学ばなければ、本当にその道を習得したことにはなりません。

曹洞宗における大安楽の法門としての坐禅。

その真髄の禅を伝えて下さったのが達磨大師です。

達磨大師は、あらゆる世俗に背を向け、自ら安楽としての坐に徹しました。

その姿こそが達磨大師の教えそのものだったのでしょう。

 

お経 曹洞宗

2020.10.03

般若心経2

お経もそうですが、「般若心経」も

漢字ばかりでわからなく、何が書いてあるか分からないかと思います。

お盆や御法事、お葬式でも唱えるお経だけども

大人に聞いても分からないことが多いし、先生に聞いても難しい言葉が多いかもしれません。もちろんわかるかたもいますので、まずは聞いてみましょう。

でも、なぜ分からないことだらけのお経を読むのか?

それは、

分からないかもしれませんが、

自分の為のお経であり、

「般若心経」なのかもしれません。

今のあなたは

自分中心でものごとをみていませんか?

言い替えれば「必要以上にこだわってませんか?」

または、

「ものを差別や区別して見ていませんか?」

「色メガネのように肩書きや外見で判断してしまって見ていませんか?」

ましてや

「疑いの心で見ていませんか?」

逆に

「自由な心で優しく、おおらかなに生きていますか?」

と「般若心経」は問いかけているのです。

人は、十人十色なんです。いろいろな見方が必ずあります。ましてや国や地域。信仰もです。

ですが、そのどれもが絶対ではありません。

たとえば、

死を迎えるまで幸せに暮らす人もいれぱ、

不幸な心で暮らす人もいます。

「般若心経」では、それは

欲望や執着心が多すぎてしまったからだと言っております。

『般若心経』の教えとは、

欲望や執着心を捨てて

こだわらない心で

おおらかに生きるということが教えの核なのです。

それはお釈迦さまの教えでもあり

私たちの思うところなのです。

 

曹洞宗

2020.09.30

去就

昨日の9月29日、御征忌(ごしょうき)法要の後、大本山永平寺貫首福山諦法(ふくやまたいほう)猊下(げいか)が退董(たいとう)されました。

福山諦法禅師は、2008年4月より永平寺の貫首、曹洞宗の管長に就任されました。

同日付にて大本山永平寺の副貫首であられました南澤道人(みなみさわどうにん)老師が大本山永平寺の貫首に就任されました。

福山禅師による最後のご挨拶は、「感謝の人生だった」と振り返られ、山内の役寮(やくりょう)・大衆(だいしゅ)、 山外からの多くの関係者からの拍手を送る中、永平寺を下りられました。

昨日からの、令和2年9月29日付にて大本山永平寺の新貫首は、南澤道人猊下が永平寺の貫首並びに曹洞宗管長に就任いたしました。

この度の退董に至る経緯ですが、ご高齢などの理由により猊下ご自身からの申し出があったとされております。

永平寺貫首がご生前に交代されるのは44年ぶりであられました

新たに猊下、ご禅師になられたのは、

札幌市中央寺の御住職であられました南澤道人老師(長野県)(93歳)がご就任なされました。

私が永平寺に修行していた時も、監院(かんにん)という立場で私たち修行僧を見守ってくださっておりました。

どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m     合掌

 

 

曹洞宗

2020.09.24

両祖忌(りょうそき)

大本山永平寺では、昨日の9月23日から29日にかけて

大本山總持寺では、10月12日から15日にかけて

各大本山にてでは

毎年、道元禅師さま瑩山禅師さまのご供養をしております。

この期間を本山では、「御征忌(ごしょうき)」と呼んでおります。

各地の各寺院では、9月29日を

「両祖忌(りょうそき)」と呼んでご供養しております。

お二人のご命日はそれぞれ違う時期でありました。

道元禅師さまは、1253年8月28日 54歳

瑩山禅師さまは、1325年8月15日 62歳

と違うのですが、これは旧暦・太陰暦です。

明治以降では、西洋の「太陽暦」という太陽の動きに合わせた暦を採用することになりました。

そのため旧暦の日付の読み替えが行われた結果

同じ9月29日となられました。

こんなことあるんですね( ゚Å゚;)

 

駒澤大学付属高校の一佛両祖(いちぶつりょうそ)です

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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