2020.02.23
今回は宗教事情視察としまして
雪の降る長崎へと行ってきました。
《潜伏キリシタン弾圧の歴史と現在を学ぶ》
禁教令によりキリスト教への弾圧が凄いなか
250年もの間、信仰をやめなかった。
二十六聖人記念館の次は
長崎市樫山の曹洞宗天福寺に
こちらのお寺は、
檀家のほとんどかが『潜伏キリシタン』
とされていました。
表向きは神棚や御仏壇がありながらも
納戸や押入れなどや
このように柱の一部を加工し、
自分で造った聖母やメダイを隠し持たれていた。
1630年頃より始まった寺請制度
今の檀家制度と同じですが、
お寺が地域を監視し把握されていたようです。
こちらの天福寺は、潜伏キリシタンとの関係が
とても異色だったとも言える地域でした。
キリスト信仰信者と隠すための方便にすぎなかった寺院との関係が
長い歳月によって、表だけの神仏を信仰するという関係ではなく
神仏への感情や先祖供養をする。明治6年以降のキリスト教信仰の自由が
認められた後も、こちらの地域では
檀信徒をやめカトリック信者として生きるのではなく、
仏教信者として、または、
今まで通り檀信徒としながらも
隠れキリシタンとして生きられたようです。
聖母マリアとして浦上キリシタン信徒が秘かに拝んでいたとされる像
現在は、マリア観音としてご本尊さまの脇にいます。
場所を少し移動し
「オラショ」と呼ばれるキリシタンの祈りの言葉
をお互いに確認したり伝えていたとされる地
岩の上ではなく下のすきまで、隠れながら
オラショを学んでいた地です。
樫山や外海(そとめ)地方のキリシタン聖地(サンジュアン宣教師の墓地)である
枯松神社へ
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
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