2020.02.22
今回は宗教事情視察としまして
雪の降る長崎へと行ってきました。
《潜伏キリシタン弾圧の歴史と現在を学ぶ》
禁教令によりキリスト教への
厳しく激しい宗教弾圧がおこなわれてきました。
恥ずかしながら、キリスト教への弾圧について
ほとんどその内容や行いは勉強しておりませんでした私。
長崎空港より長崎駅前へと行きますと
【日本二十六聖人記念館】へ
ここは、日本で初めて「殉教」した二十六聖人を顕彰するための
殉教の聖地です。大浦天主堂とは相対してます。
最近では、2019/11/24に教皇フランシスコが訪問され
26人の殉教者へ祈りを捧げられました。
また、日本では唯一の公式巡礼地でもあります。
1550年ごろ
カトリック修道会イエズス会の創設者の一人
フランシスコ・ザビエル神父が鹿児島へ上陸し、
長崎の平戸からキリスト教を伝え、布教され始めた。
織田信長が本能寺の変にて滅した後
(皎月院の開創は1576年です。6年後450年)
豊臣秀吉もキリスト教へは好意的でした。
しかし、日本国内を統一していた秀吉は
1596年スペイン船サン・フェリペ号が
スペインが占領していたフィリピンからメキシコへ向かう途中に
土佐へ漂着。
この時「スペインは世界最強の国であり、宣教師を派遣し現地人をキリスト教へと改宗させ、占領する」などの話をされた
このことに秀吉は激怒し
宣教師を処刑するようにと命じられた。
京都や各地で捕まった修道士や信者24人を
京都から長崎へと
耳をそいだ後、キリスト教は異端だと
見せしめながら真冬に歩かさせた。
途中二人が加わり、1597年2月5日
長崎で十字架にかけられ処刑された。
その後半年間そのままだったという。
その殉教の地が、記念碑のある西坂の丘(公園)です。
30年程前に見つかった聖母マリア
見た目は弥勒菩薩だが聖母マリアとして祈られていた
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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