曹洞宗 常圓山 皎月院

皎月院TOP > 皎月院副住職 亨龍日記

禅のことば

2020.04.03

袈裟功徳3

『正法眼蔵 袈裟功徳』

に関する大事な言葉として

現代語訳させていただきます。

 

「仏さまのお袈裟の布や種類、色や寸法は、人のモノサシの部分と仏のモノサシの部分があり、よく学ばなければならない。インドや中国でも昔から今日まで仏道修行に励む人々は、よく学び代々正しく伝えられてきたものである。それを知りながら、さらに伝えていこうとしない了見は許しがたい。それはおろかさのためか、信ずる心がないためであろう。真実に覚めることなく、本末転倒もはなはだしい。これはまさに仏の功徳は心を軽んじるものである。道を求める人は、正しく伝えられたものを受けなさい。私たちは、会いがたき仏法に会えたばかりではなく、仏の袈裟を正伝した法孫として、見聞し、学び、身につけることができる。これはすなわち、仏にまのあたりにお目にかかることであり、仏の説法を直接聞くことでもあり、仏の光に照らされることであり、仏と同じものをもちいることでもある。また仏の心を伝え、仏の真髄を会得したことにもなる。今現実に、釈尊のお袈裟に覆われさせていただくことなのである。釈尊より直接授けられ、仏から仏へと受け伝えられてきたことでもある。」

『正法眼蔵 袈裟功徳』道元禅師著書

ありがとうございました。

禅のことば

2020.04.02

袈裟功徳2

「おほよそしるべし、お袈裟は、たくさんの仏が敬い大切に護持されてきたものである。言うならば、このお袈裟は、仏の身体そのものものであり、ほとけの心そのものであります。解脱の服(こだわりを生じない衣服)、福田衣(仏道の苗がよく育つ衣服)、無相衣(仏のモノサシの象徴の衣服)、無上衣(最上の衣服)、忍辱衣(いかりの心を鎮める衣服)、如来衣(仏と同じ衣服)、大慈大悲衣(仏の大いなる慈悲そのものの衣服)、勝幢衣(仏教徒としてのはたじるしの衣服)、阿耨多羅三藐三菩提衣(真実に覚めた衣服)等といわれる。まさにこのように受け止めなさい。

このようなお袈裟なのだから、自分の思いのままに作り改めることをしてはならない。」

禅のことば

2020.04.02

お袈裟に関する言葉として

道元禅師さまの書物の

『正法眼蔵』の「袈裟功徳」の巻の

一部を今の語訳して載せさせていただければ

私の勉道精進

 

仏弟子としての

功徳にも繋がるかと思いますので

どうぞよろしいお願いいたします。

「まことに、われわれはインドから遠く離れた地に生まれ、末法の世であることはうらむべきことではあるが、仏から仏へと伝えられた、法と袈裟に巡り会えたことは、どんな慶びにもかえがたい。こんなすばらしい出会いに感謝し、敬っていきたい。その思いは、無量の身命を投げ棄てても供養しなければならないし、何度生まれ変わっても、またこの袈裟に巡り会い、敬いたいと発願すべきである。たとえインドから遠く離れてはいても、善縁に恵まれれば、何ら遮るものもなく、差別もない。この正法に会うことができ、いつも大切に護持していきたい。これは単に一仏や二仏のもとで功徳を修めたというばかりか、数えきれない仏のみ元で功徳を積んだお陰である。こんな自分ではあるが、尊び喜び随っていきたい。この法を伝えて下さった立派な先輩方のご恩に深く感謝しなければならない。人間であれば当然のことである。」

 

次へと続きます

禅のことば

2020.04.02

お袈裟と十大弟子

十大弟子の一人である

天眼第一の阿那律尊者(あなりつ)

アヌルダとも呼んでおりますが、

お釈迦さまと同じく釈迦族の出身であり

お釈迦さまとは、いとこだとも言われております。

阿那律尊者は、お釈迦さまが御説法されているときに

居眠りをしてしまったそうです。

それに対して

お釈迦さまは「あなたは道を求めるために出家したではありませんか。それなのに説法中に居眠りをするとは出家の決意はどうしたのか」と叱責されました。

それ以後は、決して眠ることなく修行され

ついには、失明してしまいました。

ですが、それによりすべてを見通すことができる智慧の眼

天眼を得ることになりました。

 

見ることができない阿那律尊者は、

衣、お袈裟のほころびを縫おうとされた際に

針に糸を通すことができなかったそうです。

そこで、「どなたか私のために針に糸をとおしてくれませんか」と言ったところ

お釈迦さま自ら針に糸を通されたという話もあります。

またお弟子の阿難や目連、多くのお弟子によって

アヌルダのお袈裟を縫われ

お釈迦さまをはじめ皆が功徳という徳を積まれました。

 

『自未得度先度他(じみとくどせんどた)』

自分自身がさとりを得る前に、

他の人々を救済しようとする願いをもつことです。

それは、発心(ほっしん)と言う

仏道を求める心なのです。

その仏道修行とは、

たゆむことなく行われ、終わりがないかもしれません。

 

 

禅のことば

2020.04.01

卯月 新年度

観音さまは、

正しくは、観世音菩薩・観自在菩薩ともいいます。

救いを求める人々に応じてさまざまなお姿をあらわし、

大きな慈悲で私たちの願いや想いに対し救済することを本願とする菩薩です。

中でも特に有名な六観音は、
六道の人々を救うと言われ、
六道と以下のように対応しています。
1.地獄界:聖観音   スタンダードな観音菩薩
2.餓鬼界:千手観音  絶大な力を持つ観音菩薩
3.畜生界:馬頭観音  怒り顔の観音菩薩
4.修羅界:十一面観音 あらゆる方角が見える観音菩薩
5.人間界:不空羂索観音(ふくうけんじゃ)羂索という投げ縄で苦しむ人を救う観音菩薩

6.天上界:如意輪観音 思い通りの宝を出し、煩悩を破する説法をする観音菩薩

また『法華経』には、六観音どころか、

「三十三身」という、
三十三通りの姿になって現れると説かれています。
観音菩薩は、このような多くの姿で現れ、
仏教を求める人に現世利益をもたらすと説かれています。
そのため、観音菩薩がこのような様々な姿で現れるのには

目的と理由があるのですがそれがだんだんずれてきまして、
インドでも中国でも日本でも仏教の伝えられた広い範囲で、
仏像(菩薩像)が作られ、信仰されてきました。
日本でも、仏教が伝来して以来、国を護って欲しいと願い

観音像が作られてきましたが、
やがて、個人の欲望を満たして欲しいと願う人が増えてきました。
しかし、欲望には限りがなく、満たしきって救うことは不可能ですので、
単なる欲望を聞き届けるような現世利益は、
実は仏教の目的とは異なります。

ですが、新型コロナウィルスによる

世の中の混乱が早く終息できるよう

観音さま、仏さまへ願ってやみません。

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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