2024.01.25
本日は宗教者としても、しっかりと把握しなくてはならないと思っていました
「水俣病」
この度、勉強する機会がありましたので嬉しい限りです
水俣病はなぜ発生したのか
それは、私たちが少しでも「豊かに便利な生活を求めた」結果によるものでした
チッソ水俣工場にて(化学工場)多くの化学的な人工的製品を作っている中で
その原料の1つであったアセトアルデヒドを生成されていた
それは昭和7年頃誕生されたようです(お酒を飲みすぎた私たちの身体からも排出されるようです)
人工的に作られるアセトアルデヒドにはアルコールでできているオクタノールを生成でき、とても重宝されました
それによりビニール製品を柔らかくすることができました
ですが、アセトアルデヒドを作るときに発生した
とても毒性の強い「メチル水銀」が出来てしまいました
このメチル水銀を工場排水と一緒に水俣湾へと流してしまっていました
水銀には、「金属水銀」「無機水銀」、「有機水銀」に分けられますが
メチル水銀は、有機水銀の1つであり、とても強い毒性があります
毒性があることがわかっていたのかもしれませんが
私たちの生活が豊かに(戦前後なので輸入となるとコスト高のため)なるためにと、もしかしたら見て見ぬふりをしてしまったのかもしれません
環境汚染、また魚を頂いている私たちには
海洋の食物連鎖により
全く無くならないメチル水銀はどんどんと濃縮される
(プランクトン〜海老や貝など、それを食べる魚、さらに大きい魚、さらに大きい鮫や鯨)メチル水銀を大量に含んだ私たちへと
当時の人達は知らずに魚を食べていました
(漁師にいたっては、1日に1.5キロも)
さらには胎児にも影響が及びました
世界では、母親の胎盤には毒を吸収し、すり抜けさせないと思われていましたが
人工的に生成されたメチル水銀は
へその緒を通し胎盤をすり抜けることが判明されました
そのため健康被害をもたらされていた母親から誕生された子供にも多くの健康被害が発生
特に脳や神経に障害を与えました
何よりも、メチル水銀により一度障害を受けた脳や細胞は、再生困難です
治療法、完治する方法が無いのです
私たちが戦争もあったらからかもしれませんが
少しでも便利な暮らしをしたいと求め過ぎたためなのかもしれません
世界中で戦争、争いがある今
今後決して間違ってはならない
同じ過ちを犯してはならないと強く願い、感じました
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
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