曹洞宗 常圓山 皎月院

禅のことば

2020.01.28

普賢菩薩(ふげんぼさつ)

普賢菩薩は、文殊菩薩と共に、
お釈迦さまの脇侍としています。
そして六牙の白象に乗っておりますのでわかりやすいです。

文殊菩薩は、
仏の智慧として、
また普賢菩薩は慈悲や智慧の実践、
修行を導き私たちを成仏へと導かれます。

曹洞宗の法要にて
「嘆仏会たんぶつえ」(お釈迦さまや仏さまを賛嘆する法要)や
「授戒会じゅかいえ」(信仰する皆さまが仏道を歩まれる入門)で
読まれる「華厳経の十者礼」には、
この世の全ての凡夫の三業の行いや煩悩が、
消滅するまで願うことをやめないという、
普賢菩薩の十大誓願が説かれています。

その「十大願」とは、

一、礼敬諸仏(諸仏を敬い礼拝する)

一、称賛如来(如来を称賛する)

一、広修供養(諸仏にあらゆる供養を惜しまない)

一、懺悔業障(過去の罪科を悔い改め、仏に告白する)

一、随喜功徳(功徳を共に喜ぶ)

一、請転法輪(諸仏の説法を請い願う)

一、請仏住世(諸仏が常にこの世に住して導いてくれることを願う)

一、常随仏学(常に諸仏に学ぶ) 

一、恒順衆生(恒に諸衆を敬う) 

一、普皆回廻(全ての功徳をあまねく振り分ける)

などの罪障を滅し、成仏に至る功徳で人々を救済する教えです。

白像には乗っておりませんが、
三重県三井寺の普賢菩薩さまです。

禅のことば

2020.01.26

高祖承陽大師降誕会

本日1月26日は
生誕820年
高祖承陽大師道元禅師の
ご生誕日です。
正治2年(1200年)

道元さまをお生みになられた母は、
元摂政関白であった藤村基房の娘とされ、
父は、源通親(1149~1202年)とされていました。
ですが、最近の研究にて変更がありました。
父は源(堀川)通具(1171~1227年)で
母はやはり不明であり、
もしかしたら藤原氏の関係者かもしれない
という見解が主となっているようです。

道元禅師さまの名前は、
文殊菩薩のような智恵のある子になるようにと
文殊丸(もんじゅまる)とつけられました。
八歳で母を失う。
この時の無常を感じたことが
出家された原因であったとされています。
13歳で天台宗の比叡山へ上り
翌年、公円(こうえん)のもとで出家得度され
名前を道元となりました。

南無高祖承陽大師道元禅師

1233年道元禅師が初めて開かれた
仏徳山観音導利院興聖宝林禅寺=興聖寺

禅のことば

2020.01.25

高祖承陽大師道元禅師誕生御和讃

高祖承陽大師道元禅師誕生御和讃
三番、
春は花咲き秋は月
夏ほととぎす冬は雪
さとりの山や吉祥の
南無や永平承陽尊

正治2年1月2日京都で誕生されました。
今の太陽暦では1月26日としております。

誕生御和讃の三番は、
道元禅師さまが残された和歌

「春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて すずしかりけり」

四季それぞれの日本の美しさ。
自然のすっきりとした姿を
ありがたいと思うだけではなく、
自然に囲まれて自分の心も清々しくなり、
自然と心があい交えている。
そのようにおもわれる歌です。
この歌を基に作られ、
どのようにしたらお釈迦さまと同じような
仏としての生き方ができるのであろう?
また、どのようにその教えを伝えたら良いのか?
道元禅師は、深山夕刻の地を選び
心から仏道に身をとうじれる地
吉祥山永平寺を開かれました。

南無高祖承陽大師道元禅師

御詠歌

2020.01.21

誕生御和讃

正治2年 1200年1月2日
現在では、1月26日とされておりますが、
高祖承陽大師道元禅師さまの
誕生日です。

梅花流詠讃歌では、
『高祖承陽大師道元禅師誕生御和讃』
がございます。
こちらの曲は、昭和27年の発足時に発表されました。
またこちらの曲は
真言宗の『密厳流誕生和讃』の
メロディーをいただいております。

二番
《御法(みのり)の御子(みこ)の誕生に
天はほがらか地はのどか
歓喜(よろこび)みちて今日よりは
仏の国土(みくに)あらたなり》

道元禅師さまの誕生を
この上なくお慶び申し上げている曲であると思います。
1200年に生まれた頃は
権力が公家から武士へと移行しつつあった頃で、
源頼朝が鎌倉幕府を開かれ8年目。
日本の政治だけではなく
天候不順や地震、多くの自然災害も
多かった頃でもあったようです。
その為、道元禅師さまの誕生は
とても明るく希望にみちた
存在だったのではないだろうか?

南無高祖承陽大師道元禅師

禅のことば

2020.01.20

高祖承陽大師

高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)
と言えば
大仏寺、永平寺、曹洞宗の御開山である
道元禅師さまのことです。

道元禅師の誕生日は、
1月26日とされておりますので、
1200年生まれてすので
まもなく生誕820年となります。

《正治の2年(1200年)初春の
都の空は澄みわたり
瑞気(ずいき)たなびくめでたさに
生まれたまいし承陽尊(じようようそん)》

こちらは、曹洞宗梅花流詠讃歌の曲
「高祖承陽大師道元禅師誕生御和讃」
の1番です。

道元禅師が1200年、正治2年の1月2日(1/26)に
都(京都)でお生まれになられたとされ、
お正月のおめでたい日であったと思われます。
「承陽尊」とは、
明治天皇より「承陽大師」としていただきました号です。

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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