曹洞宗 常圓山 皎月院

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禅のことば 法要

2020.12.08

成道会の疏

本日

成道会法要を青年会でとりおこないました。

法要中お釈迦さまへの敬愛なる言葉、疏をお唱えしますが、

その内容の一部を取りあげたいとおもいます。

 

「衆生のまよい」

と言われている1文章があります。

『蓋(けだ)し衆生、如来の智慧徳相(ちえとくそう)を具すること有るも、

若し大覚(だいがく)、衆生の迷悟を示すの方便無くんば、

演若(えんにゃ)の狂性(きょうせい)歇(や)み難く、力士の額珠(がくじゅ)永く忘れん』

意訳として

【まさしくこの世のすべてのものは、もともと如来とおなじように智慧をもち、仏性という万徳円満の姿をもっているにもかかわらず、三毒である貪瞋痴(とんじんち)によって、真実を見失っているのです。

それでも、お釈迦さまが、この世の生きとし生きる衆生に対して、迷ってしまったり、迷った原因、その迷いの脱却、迷いからの脱却後の生き方、方法。このような縁起(四諦)のみちびきを、仏陀となられたお釈迦さまによってお示しがなかったとしたならば、

演若(エンニャダッタと言う人物)が、鏡に写る眉目をみて喜んでいた(ナルシスト?)が、鏡が無くては自分の眉目をどうしても見ることができず、自己を見失い狂い走ってしまったという。<演若狂性>

(対句の文書)

また、もともと眉間に有していた金剛珠のある力士が相撲をとったところ、頭を打ち付け珠が額にめり込んでしまった。力士は金剛珠を失ってしまったと思い込み悲しんでいたが、良医が鏡をもって照らしたところ、額にあるのを見て喜ばれたとされたように。<力士額珠>

この世の病を、お釈迦さまの教え(法=薬)がなかったとしたならば、私たちの心は三毒に侵されてしまい、心の安心(あんじん)を欠いてしまっていたであろう】

そして、次の文へ

お釈迦さまが成道された意義として、

『今大地有情(いまだいちうじょう)の成道を聞いて、

新たに本有仏性(ほんぬぶっしょう)の正因を明らむ』

【今、明けの明星の輝くなかで、私も大地もあらゆる生き物すべてのものが同時にさとりを開き、仏性はありとあらゆるものがそなえもっているんだという、正しい縁起を明かにすることができえたのです。】

 

《出山図》

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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