2020.07.15
『法華経』
【観世音菩薩普門 第25】
観世音菩薩
一心にその名を称え、心に念じたのなら
観世音菩薩がそれを聞きどんな苦しみも取り除いてくれる。
「三毒」のつぎに
子宝を授けてくださる仏さまとして観音さまはとても信仰されておりますが、
それは
もし、男の子が欲しいと望むのであれば、一心に観音さまを拝み敬うのであれば、必ず利口な男の子が産まれ、一生しあわせに暮らせるようになるでしょう。
また、女の子が欲しいと望むのであれば、前世で善い行いをすることです。その行いにより、誰からも慕われ愛される子が産まれるでしょう。
さらに続いて観音さまの功徳や福徳は無量無辺の利益があると例え話と共に、無盡意菩薩にお釈迦さまが語られております。
「数え切れない程の多くの菩薩さまがいますが、(一生かかっても施しきれないほどに)それぞれに飲食や衣服、寝具や医薬品を施すことは功徳があるのでしょうか?
もちろん功徳はあります。(無盡意菩薩)
その通りですが、この行いの功徳を大小で言い表すのは無限に近くとても言い表せません。
同じ功徳として観音さまを一心に供養敬う利益も同じ功徳を受けることができるのです。」
この後には、救う相手によって相応しいお姿になって私たちを救う言葉が続いていきます。
それが三十三応身です。
2020.07.15
『法華経』
【観世音菩薩普門 第25】
観世音菩薩
一心にその名を称え、心に念じたのなら
観世音菩薩がそれを聞きどんな苦しみも取り除いてくれる。
「七難」のつぎは
「三毒」です。貪瞋癡(とんじんち)
【貪欲・瞋恚(しんに)怒り・愚痴】
から解放されることを解いております。
貪では、婬欲が説かれております。
もし性欲のために悩んでいる人がいるならば、観音菩薩を心に思い浮かべて、敬うのであれば、ひとりでにその性欲から心が離れ悩むことがなくなるでしょう。
瞋(じん)では、何かにつけて怒りを感じ、それによって自分自身をしめつけているのであれば、観音さまを思い浮かべ敬うのであれば、怒りが起こらなくなるでしょう。
痴では、愚かなことを考えてしまう人がいたのならば、観音さまを思い浮かべ敬うのであれば、その愚かな思いがなくなることが出来るでしょう。
観音さまを心に敬うのであれば、三毒さえもなくす力があり、御利益もあります。
吉山明兆筆『白衣観音図』
2020.07.13
本日よりお盆の始まりです。
私の皎月院では八月にお盆の行事をしております。
「お盆」は、ご先祖さまをはじめ、あらゆる御霊をご供養する期間であります。
元々は「盂蘭盆(会)うらぼんえ」と言います。
「盂蘭盆」という言葉は、古代インドの言語であるサンスクリット語で「逆さ吊りの苦しみ」を意味する「ウランバナ」を音写したものであったとされておりましたが、最近では、古代イランの言葉で「霊魂」をあらわす「ウルヴァン」が語源で、霊魂を祀る儀礼が伝わっていくにつれて、「盂蘭盆」と呼ばれるようになったという説が有力のようみたいです。
由来はともかく、お盆は
「おもてなし」の心です。
香りがよくキレイなお花をお飾りし、旬の野菜や乾物、果物や故人の好きな物お供え物を供え、真っすぐに香りのよいお線香をたむけ
心静かに手を合わせましょう。 合掌
~盂蘭盆会御和讃~
【瞼(まぶた)をとじれば在りし日の 面影浮かぶみほとけを
法悦(よろこ)び迎えし盂蘭盆会 いのちの集い有難(ありがた)や】
2020.07.13
『法華経』
【観世音菩薩普門品 第25】
観音菩薩
一心にその名を唱え、心に念じたのなら
観音菩薩がそれを聞きどんな苦しみも取り除いてくれる。
それは「七難」を逃れることである。
続いて、お釈迦さまは観音さまを心に念じたのなら、苦しみの根元であるところの
「三毒」貪瞋癡(とんじんち)
【貪欲・瞋恚(しんに)怒り・愚痴】
から解放されることを解いております。
それではまず「七難」です。
①、火難 観音さまの名を受持する者は、たとえ大火の中に入っても焼かれない。
②、水難 大水に流され漂流したとしても、観音さまの名前を称えることで、浅い所に逃れることが出来る。
③、風難 何千万億の生けるものたちが、色々の宝を求めて海に乗り出し、暴風に遭って船が羅刹鬼(らせっき)の国(怖ろしい鬼神のいる所)に漂着しても、観音さまの称える人が船の中に一人でもいたならば、羅刹鬼から逃れることが出来る。
④、刀杖難 人に殺されそうになった時に、観音さまの名前を一心に称えれば、相手の刀や杖が何か所も折れてしまい助かることが出来る。
⑤、悪鬼難 三千大千国土に満ちている夜叉や羅刹が来て人を苦しめようとするとき、観音さまの名前を称えれば、鬼たちは敵意ある眼で人を見ることができなくなり、危害を加えることができなくなる。
⑥、枷鎖難 罪があったとしてもなくても、首枷(くびかせ)、足枷、鎖でつながれていても、観音さまの名前を称えれば、枷や鎖が切れて、壊れてしまい助かることが出来る。
⑦、怨賊難 三千大千国土に賊が満ちているのに、大商人が多くの商人を率いて、お宝を運んで険しい道を進み行く。その中の一人が「怖れることはない。一心に観音さまの名前を称えなさい。観音さまは、生きとし生ける者たちに無畏を施される。もし名前を一心に称えるのであれば、この危機から解放される」といい、皆が声をそろえて「南無観世音菩薩」と。それによって無事をえることができる。
後半部分の「観世音菩薩普門品偈」では
「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)とは、「彼の観音の力を念じる」と再び記述されており、十三回も出てきます。
2020.07.10
南無観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
観音とは、サンスクリット語でアヴァローキテーシュヴァラを中国語に意訳された言葉です。
インド出身の鳩摩羅什(くまらじゅ)は、「見る」「観察する」という意味のアヴァローキテーと
「音」「声」という意味のシュヴァラより観音と訳されたようであり、
『西遊記』で有名な玄奘は、シュヴァラという言葉の意味を「自在な者」とされたようで
般若心経冒頭の言葉を観世音や観音ではなく「観自在菩薩」として訳されているのはそのためです。ですが、もちろん同じ仏さまです。
今回から曹洞宗でも特に親しまれております観音さまの妙徳などを
鳩摩羅什訳である『法華経』二十八品の中から「観世音菩薩普門品」第二十五より考えていこうと思います。
『観音経』を説くのはもちろんお釈迦さまです。
そしてご説法の場所は霊鷲山。
こちらは北東インド、ネパールの近くであり、今のラージギル(王舎城)付近にあります。
お釈迦さまのご説法の場として今なお大切にされております。私も2年前に行ってきました。名前からして、横から高台を眺めますと鷲のようにも見えてきます。
『法華経』をはじめ数多くのお経がここ霊鷲山で説かれております。
<観音経の背景として>
お釈迦さまはこの霊鷲山におり、周囲にはご説法を聞くために何万人もの人々が集まっているなか(衆中。八萬四千衆生、とお経には記載しており)
『観音経』の冒頭より、
「爾時。無盡意菩薩。即従座起。偏袒右肩。合掌向佛。而作是言」(にーじむーじんにぼーさそくじゅうざーきへんだーうーけんがっしょうこーぶつにーさーぜーごん)
【無盡意菩薩(むじんにぼさつ)が立ち上がり合掌し、観世音菩薩はどんないわれで観世音というのか、とお釈迦さまに問います。それに対し、お釈迦さまが答えていきます。】
「善男子。若有無量百千万億衆生。受諸苦悩。聞是観世音菩薩。一心称名観世音菩薩。即時観其音聲。皆得解脱。若有時是観世音菩薩名者。」(ぜーなんしにゃくうーむーりょうひゃくせんまんのくしゅうじょーくーのーもんぜーかんぜーおんぼーさーいっしんしょうみょうかんぜーおんぼーさーそくじーかんごーおんしょーかいとくげーだーにゃくうーじーぜーかんぜーおんぼーさーみょうしゃー)
【立派な若者よ、もし無量百千万億の生ける者たちがあってもろもろの苦悩を受けていたとして、この観世音菩薩の名を聞いて一心にその名を称えたならば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、皆、その苦しみから解放されるようにするのであろう】
そしてお釈迦さまは、観音さまの名を称えれば、「七難」を逃れることができ、また観音さまを心に念じたら、苦しみの根源である三毒、貪瞋痴(とんじんち)、貪欲・瞋恚(しんい(いかり)・痴(ぐち)から解放されることをお説きになっております。
有名な狩野元信筆『白衣観音図』
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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