
2017.10.23
洒水(しゃすい)
洒とは、うやうやしく水を灌(そそ)ぐ意、
ですので、水を高く上から捧げてそそぐ、
そのことから物事が鮮やかになることを意味します。
逆に灑水(しゃすい)と書く場合は、
水を下にそそぎきよらかにする。
単に水をそそぐのと、上に捧げてからそそぐのとの
違いがあるとされております。
水は汚れを除き、清浄にする
罪障消除の功徳がある。
水は万物を育成する。
水がなかったら生物の芽はでない。
ですので、水は万物育成水であり、慈水であります。
人生は産湯に始まり、末期の水で終わる
人間は水に生まれ、水に生き、水に終わる
ということにもなるのではないでしょうか。

2017.10.17

寿山福海(じゅさんふくかい)
ズバリ!
みなさんが求めてやまない幸せです。
寿命は山の如く、福は海のように
という事で とても欲が深いというか虫のよいお話です。
でもこれが人情であり願いがあってよいと思います。
ただ問題は、そのうちとかいずれと
願いを待つのでは間に合わないのです。
今日がきっと寿山福海なんですよね
今日が最高であり、感謝の一日、
喜びの一日となりますようにしましょう。
2017.09.23
昼夜がほぼ等しくなる
春と秋のお中日は、
仏教イベントとしては唯一の祝日になっておりますね。
昨日に続き六波羅蜜を通して
私たちがお仏壇やお墓に向かって、
お参りすることはそれなりに意味があります.。
仏さまに お水やお花を奉るという心は、
お布施(ふせ)=与えるということです。
そのお花は 忍辱(にんにく)=耐え忍ぶことを表したものであり、
怒りや腹立ちなどの煩悩を忍耐する、心の象徴とされています。
お線香をあげるのは、精進(しょうじん)=努力すること。
お線香は一度火をつけますと、燃え尽きる最後まで持続します。
私たちも最後まで辛抱強く、努力精進する心が大切です。
お膳を供えるのは、禅定(ぜんじょう)=心の安定。
腹が減っては戦はできぬ。何よりもまず、お腹を満たすことが大事です。
そして暗闇の中(自分の煩悩や迷い)に、ホッと明かりが灯る。
その明かりが 智慧(ちえ)の灯明です。
このように、仏さまに供えるものは一つ一つ自分の心の象徴であり、
左右に花と灯明、真ん中にお香、その前にお膳というように位置が決まっています。
この位置が決まっていることが、持戒(じかい)=戒律です。
.日常茶飯の仏事にも、深遠なる教えが含まれています。
お仏壇やお墓に向かって 合掌礼拝することは、
「六波羅蜜を行ずる」ことになり、
私たちは日頃から「修行」を行っているのです。
また、お参り最後には
曹洞宗のご本尊・お釈迦さま
『南無釈迦牟尼佛』
と三度お唱えしましょう。

2017.08.27
三徳六味
典座という修行僧の食事を作る役職の者が、
どのようにして仕事を行うべきかが道元禅師さまは明確に示されています。
「三徳六味」とは、
三徳とは、
それぞれ軽軟(あっさりとしていること)、
浄潔(清潔であること)、
如法作(一定の定められた方法に従った行動をすること)
心のこもった料理です。
六味とは、
甘・辛・鹹・苦・酸・淡という六味です。
三徳がなくては、調理をする資格はなく、三徳が備わるように調理が行われた場合には、六味が揃って、あらゆる味となるわけです。

2017.08.16
曹洞宗梅花流詠讃歌のなかに
坐禅御詠歌があります。
その曲名が「浄心」です。
浄心とは澄みきった心、清らかな心のことです。
濁りなき心の水にすむ月は
波も砕けて光とぞなる 光とぞなる
こちらの歌詞は道元禅師さまが残された
和歌集とされる『傘松道詠』の中にある歌です。
坐禅は、身と心が融和して澄んでしずかな状態です。
正身端坐(しょうしんたんざ)=身心脱落(しんじんだつらく)
身心脱落とは、
「脱落はもぬける。身も心も一切の束縛から離脱して、大悟底(だいごてい)の境涯にいたること。道元は、只管打坐が身心脱落で坐禅わ介して大悟にいたるのではなく、坐禅の当体が身心脱落の姿であるとする」
『禅学大辞典』より
その時の身と息と心のあり方を、
調身(ちょうしん)、調息(ちょうそく)、調心(ちょうしん)
とも言います。
1日の始まりに、または1日の中で、
短い時間でもかまいません。
心しずかに、息を整えませんか?


清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
(^人^)