
2022.08.31
私が修行しました福井県の大本山永平寺では
4と9の付く日には浄髪(髪を剃る)と
開浴(入浴)の日と決まっております
浄髮は粥罷(しゅくは)朝の食事の後に行います
その際には
「浄髮の偈」を唱えます
剃除鬚髪 当願衆生 (ていじょしゅほつ とうがんしゅじょう)
永離煩悩 究竟寂滅 (ようりぼんのう くぎょうじゃくめつ)
[鬚髪を剃除せば 当に願うべし 衆生
永く煩悩を離れて究竟じて寂滅ならんと]
(こちらの偈はお葬式でもお唱えいたします)
浄髮は基本お風呂場ではありません廊下でおこないます
お風呂への入浴は斎罷(さいは)の中食(昼食)の後ですが、夕方頃となっちゃいます
その際に
「開浴の偈」を唱えます
沐浴身體 当願衆生 (もくよくしんたい とうがんしゅじょう)
心身無垢 内外光潔 (しんじんむく ないげこうけつ)
[身体を沐浴すれば 当に願うべし、衆生
身心無垢にして内外光潔ならん]

永平寺のお風呂の建物

浴室の菩薩である
跋陀婆羅菩薩(ばったばらぼさつ)(永平寺ではありません)
こちらで三度の御拝をしてから入浴させて頂きます
2022.07.18
7月17日は
道元禅師さまが本当の師匠と仰いだ
中国の禅僧であります
天童如浄禅師さまの御命日です
如浄禅師さまは1162年中国の越州に生まれ
背丈が高かったので
長身の如浄という意味で
浄長とも呼ばれていたそうです
天台の教えを学びながら
19歳の時に禅宗の教えを学び始められました
その後
雪竇山資聖寺(せっちょうざんししょうじ)の
足庵智鑑大和尚(そくあんちかん)さまもと
曹洞宗の教えを学ばれ
坐禅の教え中心に丹念に学ばれ修行されました
如浄禅師さまは
坐禅そのもの、その姿が仏である仏行を生涯厳格に行じられ
その厳格な坐禅を道元禅師さまも
只管打坐として受け継がれました
(1224年天童山景徳寺住職になられた後)

南無天童如浄大和尚
66歳の御生涯とされております

偲ぶ線香花火
(大江戸牡丹 山縣商店)
2022.07.02
私たち曹洞宗の教えでは
三黙道場として
3つのとても大切にしている修行の場があります
日々の生活では欠かすことができない場所でもあります
1つには修行の根本となる坐禅堂
こちらは坐禅、食事、さらには寝る場所でもあります
坐禅堂中心には聖僧さまである文殊菩薩さまがいます

2つ目に浴司(よくす)であるお風呂です
身を清めるためのとても大切な場所です
こちらの仏さまは、跋陀婆羅菩薩(ばったばらぼさつ)です
3つ目は東司(とうす)です
日々必ず使用するお手洗いである便所
身体の調子を整える場として本当に大切です
こちらを護る仏さまは、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)です

2022.06.26
川崎市麻生区早野
曹洞宗 芳林山 戒翁寺

皎月院住職の実家です
947年京都より歌人が下り来て草庵を造り移住したことに端を発するといわれ
1408年出家された順覚が再建したとも言われている
天正年間である1573~1592年に
片平にあります
夏蒐山(なつかりさん)修廣寺(しゅこうじ)
三世貴山玄頓大和尚を御開山とし発足
冨永重吉76歳の時に堂宇を再建し開基となりました。
富永重吉は、先祖が宇多源氏系佐々木氏庶流富永で、六角家に仕え六角家滅亡後、北条氏に仕官しました。数々の勲功を立てましたものの、豊臣秀吉に敗れ・北条氏直に従い高野山に登られました。その後、徳川家康により朝鮮の役に召され、兵法、武術に秀でた重吉は、文禄3年(1594年)に都筑郡早野村250石の地を賜り、早野の領主として地を治められました。以後関ヶ原の合戦(1600年)、大阪夏冬の陣(1614・15年)に参加し、屋敷奉行や御鎗奉行として歴任した大旗本であった。1646年12月16日96歳で亡くなり、戒翁寺に埋葬されました。現在もそのお墓は殿様墓として残っております

殿様墓(四基の五輪塔)
都筑(つづき)郡早野村の領主であった富永重吉の一族が眠るお墓である
初代重吉(しげよし)、夫人(北條家の臣高橋和泉守秀治が女)、二代重師(しげもろ)、三代師勝(もろかつ)の四墓
(四基の墓塔右側より)
戒翁寺の開基である主膳即ち重吉のお墓 安山岩製の五輪塔は、高さ222㎝もあり台座は別石ではあるものの、1つの石より五輪が造られているようです。正面にそれぞれ「空・風・火・水・地」の梵字である「キャ・カ・ラ・バ・ア」と刻まれております。
【富永主膳源朝臣安吉 芳林院殿喜翁宗歡居士 正保三丙戌年十二月十六日】と刻まれ九十六歳で亡くなる
二番目のお墓は、重吉の三男である師勝の墓塔です。高さ185㎝程
丸い水輪の球は上下に切られて造られている
【高雲院殿昌岳良繁居士 寛文十二壬子年霜(11)月十九日 (左側)冨永孫左衛門尉泰賢】と刻まれ五十六歳で亡くなる
三番目のお墓は、重吉の妻の墓塔です。重吉のお墓同様に一つの石で造られる
【常姓院殿妙祐禅定大姉 寛文元年七月九日没】と刻まれていたようである歳は不明
四番目のお墓は、重吉の長男である重師の墓塔です。
師勝の五輪塔同様にそれぞれ別の石で造られている
【靈松院殿無岸鐵心居士 寛文二壬寅年極(12)月廿八日 (裏面)御鑓奉行冨永主膳正源光忠 六十歳丙極月廿八日卒】と刻まれ六十歳で亡くなる

2022.06.16
曹洞宗の教えとは
『修証義』を宗典としております。修証義は曹洞宗の教義である「四大綱領(しだいこうりょう)」について書かれている経典です。道元禅師さまが書き記された『正法眼蔵』の本文をもとに編集され、明治23年(1890年)12月に公布されたものです。

四大綱領とは
・懴悔滅罪(さんげめつざい) 仏教を信じて、自分を見つめ反省し、迷いのない生活をしていこう
・受戒入位(じゅかいにゅうい) 生活上の規範を守りながら、正しい毎日を送っていこう
・発願利生(ほつがんりしょう) 自分だけの事を考えずに、いつでも周りの人々の幸せのために生きていくことを心掛けていこう
・行持報恩(ぎょうじほうおん) 仏教の教えを学び、その教えを実践しながら、感謝の心を持って生活していこう

清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
(^人^)