曹洞宗 常圓山 皎月院

皎月院TOP > 2019年

行事

2019.02.22

坐禅

今年度最後の坐禅指導で
八王子市館町のひまわり保育園に
(3月もありますが、研修とかぶっておりますので)
まもなく小学生となることもあってか
しっかりと皆坐禅ができます。

先ずは三身体
合掌、叉手、法界定印(がっしょう、しゃしゅ、ほっかいじょういん)
足の組み方も
結跏趺坐、半跏趺坐(けっかふざ、はんかふざ)
入堂のしかた
本堂の左側から柱の側から柱側の足(左足)から入って本尊さまに
合掌礼拝
坐る前には
隣位問訊、対坐問訊(りんいもんじん、たいざもんじん)
合掌礼拝を2回します。
そして、警策(きょうさく)
お釈迦様からの励ましとしてのおこない。

子供たちは全部覚えしっかりと坐われてました。
嬉しい日でした。

禅のことば

2019.02.19

永平寺の山門

永平寺で最も古い建物である山門。
現在の五間三戸の楼門は、1749年造立である。
『日本曹洞第一道場』の額がかかってます。

永平寺は
1297年、1340年、1473年、1574年、1641年
1714年、1786年、1833年、1879年の前後10回も
実は火災にあってるそうです。

山門の中に額かありますが、

この額は、もともとは、道元禅師さまのご真筆であったようですが、
1473年の火災で焼失してしまったようです。
『諸佛如来大功徳 諸吉祥中最無上
諸佛ともに来ってこの処に入る
この故にこの地最吉祥』
二祖国師孤雲懐奘禅師(にそこくし こうんえじょうぜんじ)さまの
作とも云われております。

《吉祥山 永平寺》
まことめでたくてとこしなえに 平和な寺であるように

禅のことば

2019.02.17

永平寺正門

永平寺の正門の門柱
『杓底一残水 汲流千億人』
(杓底の一残水 流れを汲む千億人)

二句の揮毫し、門柱に刻まれた字は
永平寺七十三世熊沢泰禅禅師によるものです。
実は、「正門に題す」という一偈があったようです。

『正門は宇宙に当たる 古道紅塵を絶す
杓底の一残水 流れを汲む千億人』

これは、物を水を大切にしなさいと述べられており、
また、道元禅師さまの 「作法これ宗旨なり、得道これ作法なり。」
という教えや想いも加わっているそうです。

禅のことば

2019.02.16

涅槃図とは

涅槃図とは、お釈迦さまが入滅された時の様子を描いたものです。
日本最古の涅槃図は高野山金剛峯寺が所蔵されているものだそうてす。

《喜びも、悲しみも、すべては移ろいゆく
だからこそ弟子たちよ、怠ることなく修行を続けなさい》

涅槃図の右上には!お釈迦さまの生母、マーヤ夫人です。
お釈迦さまに長寿の薬を与え、もっと長く多くの人に
その教えを説いて欲しいとの願いからやって来られたとされます。

そのマーヤ夫人の先導にはアナリツ尊者がいます。
お釈迦さまの従兄弟であり十大弟子の一人です。
お釈迦さまのご説法中に居眠りをしてしまったことを恥じて、
絶対に寝ないという誓いを立てた結果、視力を失ってしまいますが、
そのことがかえって智慧の目を開くきっかけとなり、
「天眼第一」とも呼ばれております。
また、
お釈迦さまのお側で悲しみのあまり卒倒している人物は、
アナン尊者です。阿難尊者もお釈迦さまの従兄弟であり、
十大弟子の一人であります。常にお釈迦さまのお側でお世話をされ
最も多くの教えを聞いていたので、「多聞第一」とも呼ばれております。
その阿難尊者を介抱されているのが、アヌルダ尊者です。
そのアヌルダ尊者とアナリツ尊者は実は同一人物でもあるそうです。

禅のことば

2019.02.15

お釈迦様ご命日

本日2月15日は
釈尊涅槃会です。

お釈迦様が、この2月15日を選んだとしましたら、
2月は陽春で、動植物はどんどんと目を覚まし生長し
万物は無常であることが説きやすいとされております。
では、
出生、出家、成道、第一説法など、8日ですが、
入滅のみ15日なのだろうか?お釈迦様なら入滅の日も
決めることもできただろう
満月が関係あるのだろうか?

南無釈迦牟尼 南無釈迦牟尼 南無釈迦牟尼

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

カテゴリー

最新の投稿

アーカイブ