
2020.10.10
道元禅師さまのお言葉に
『人の鈍根(どんこん)と云ふは、
志の到らざる時のことなり。』があります。
人間が鈍根であるというのは、
志が起こっていない時のことをいうのである。と
私たちがどんなに努力しても、また周りの方に協力してもらってもどうにもならないことはあるかもしれない。ですが、
本人の努力によって変えることができる場合は、
強い志しを持って行動をしなければ変えることはできません。
道元禅師さまのこのお言葉には、
「私にはできない」
「私には能力、才能がない」
「私なんかには無理だ」
と言って諦めてしまいそうな私たちを奮い起たせる言葉、「しっかりと志しを起こして、実行しなさい」とうながしております。

札幌の浄国寺 日光菩薩&弥勒菩薩
2020.10.02
道元禅師さまの最期の和歌かと思われます。
旧暦では8月15日頃中秋の名月であり、道元禅師さまは8月28日に亡くなられました。
道元禅師さまは、療養のために京都へと行かれました。今生の最期の名月。
名月に想いをよせますと、眠りにつけないでおられたのでしょう。これまでの人生を振り返られていたに違いありません。
幼少にて両親との別れ、仏道を志し出家。比叡山での修行から臨済禅を学び、栄西禅師のお弟子である明全さまと中国の天童山景徳寺へ。そこで、正師となる如浄禅師と出会い、法を受け継がれました。
日本に戻ってからは、京都にて興聖寺を開かれ、44歳で福井へ大仏寺を建立。永平寺と改名。
明全さまとの名月。如浄禅師さまとの名月。懐奘さまとの名月。多くのお弟子さまとの名月。
万感の思いをこめて
「今宵の月」を詠んだのでしょう。

中秋の名月。満月は本日10月2日のようです。

南無高祖承陽大師道元禅師
2020.09.28
道元禅師さまの詠まれた和歌の一首で
「無常」と題されております。
梅花流詠讃歌では「月影」という曲名となっております。
『世の中は 何にたとえん 水鳥の
嘴振(はしふ)る露に 宿る月影』
この世の中は無常である。何一つとして一定にとどまること、とどまるものは何もない。
この世の中を何にたとえよう。
たとえば、水鳥がくちばしを振るった時に飛び散るしずくの一つ一つに宿る月の光のようなものなのです。
水鳥がくちばしを振るうことによって、一瞬でも宿っていた月の光の生滅(くちばしに生まれたしずくに宿った月の光)。
この生滅が無常のはかなさにをあらわされております。

道元禅師さまのご生涯では、多くの死別を経験されております。
幼少期では、御両親。臨済禅を学び、共に中国の宋へと行かれた建仁寺の明全和尚さま。
そして生涯の本師である如浄禅師さま。
また多くのお弟子の中で最も期待しておりました僧海の夭折(27歳のようです)
この「無常」を詠まれた和歌は、
大切な人を看取ってこられた道元禅師さまの深い感慨がにじまれております。
2020.09.27
9月29日は両祖忌です。
道元禅師さまがどのような病気にかかられていたのかはわかりまさんが、
最期までお側に寄り添っていられましたお弟子の懐弉さまによれば、
道元さまの着ていた衣までにも血がシミ出ていたようです。
それほどの病に侵されていられました。
その衣ですが、懐弉さまは血をふき取り生地を洗ったのち
継ぎ合わせて日々使用するお袈裟にされたようです。
道元さまのお弟子の前での最後の講義では、
お釈迦さまの最期の教えとしての
『仏遺教経』でした。
このお経は、お釈迦さまが亡くなられる前にお弟子に語った言葉を経典にまとめたものです。
『仏遺教経』には八つの教えが記されております。
その教えを『正法眼蔵八大人覚(しょうぼうげんぞうはちだいにんがく)』にまとめられております。
その最後の締めくくりには
「仏法に出逢うことはじつにむずかしい。しかし幸いにも人間として生まれ、さらには釈迦より後の時代に生まれることが出来たことにより、釈迦の教えに出会えた。これこそ宿世の善根というものである。こうして出会えた以上は何度でも生まれ変わり、繰り返しこの教えを学び、いつか必ず無上の悟りに達して、世の人々のためにこの教えを伝えよう。お釈迦さまと同じように」
お釈迦さまは幾度となく皆を救う仏陀となるためにこの世に生まれ続けられたのです。道元禅師さまも生がここで終わるのではなく、これからもお釈迦さまを慕い、さらにはこれからも仏道を歩みつづける気持ちがつづられております。

『八大人覚』は、お釈迦さまの最期の教えであり、道元禅師さまの最期の教えでもあります。
南無高祖承陽大師 道元禅師
南無太祖常済大師 瑩山禅師
2020.09.16
道元禅師さまが読んだ和歌です。
『草の葉に かどでせる身の 木部山(きのめやま)
雲にをかある 心地こそすれ』

(木の芽峠 越前と若狭の境界の峠です)
この和歌は、
道元禅師さまが体調を崩され10ヵ月ほどが過ぎた頃、
療養するために京都へ向かうことを決められた頃かと思います。
タイトルにもつけました
「草の葉」
これは、あの世のことではないでしょうか?
自分の身体のことは、自分が良く解っているとするならば、
あの世への旅立ちのように一歩一歩
木の芽峠を登られていたのかもしれません。

今月29日が御命日です。(陰暦では、8月28日)
1253年示寂 世寿54歳

清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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