
2020.12.03
12月8日の成道会まで坐禅期間とされ、
臘八摂心(ろうはつせっしん)と言います。
日々の生活がありますので、
坐禅をただひたすらにできることは
幸せでもあります。
かかわりあいをすべて捨ててしまい、
ゆったりとした気分になるもの。
『諸縁を放捨し、万事を休息すべし。』
(正法眼蔵 坐禅儀より)

2020.11.18
皎月院のホームページを立ち上げ
私のブログを始めてから
今回の投稿で
1,000回を迎えました。
御詠歌を通して学ぶことができ、
またブログを投稿することで
仏教、曹洞宗の教えを自分でも学ぶ励みとなりました。これからもコツコツと精進して参りたいと思います。
本日は、道元禅師さまの
遺言を紹介させて頂き、
少しゆるんだ紐を今一度締め直したいと思います。
《遺偈》
『五十四年照第一天
打箇勃跳觸破大千
咦
渾身無覓活陥黄泉』
【五十四年、第一天を照らす。
この勃跳(ぼっちょう)を打して、
大千(だいせん)を触破(そくは)す。
ああ
渾身(こんしん)もとむるなく、
活(い)きながら黄泉(こうせん)に陥(お)つ】

《五十四年の間、
ひたすら第一天を照らし(ひとすじに仏法を求め)、
飛び跳ねて宇宙の果てまで駆けめぐった(正伝の仏法とめぐりあった)。
ああ、いきながら黄泉に落ちようとも、
もう何も求めることはない。》
2020.11.17
道元禅師さまは、
1244年(寛元2年)9月25日に
【初雪を詠ず】とし
『長月の 紅葉のうへに ゆき降て
見ん人たれか 歌をよまさる』
と詠まれております。
後に永平寺と改称される大仏寺において、
紅葉の木々の上に降った真っ白な初雪を
目にされました。
初雪に感動されただけではなく、
ついにこの地、この場から仏道の正しい教えを。
正法を行じていくのだとという新たなる思いを持って、今ある目の前の風景を忘れずに眺められていたのではないでしょうか?この景色を見て、詩を詠まずにいられるであろうか、とお弟子たちにも語りかけていられる様子さえも想像してしまいます。

2020.11.08
「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という有名な言葉がありますが、
この世の存在はことごとく仏以外のなにものでもない
というような意味です。
では、仏性とは何なんであるのか?仏さまであれば、お釈迦さま、如来、菩薩などとわかりますが、性は何であるか?心や魂、霊魂といったものであるのか?
中国の唐の時代である六祖慧能大和尚が
「無常はすなはち仏性なり、有常はすなわち一切諸法の分別心なり」
と述べられております。
無常こそが仏の本質であり、たとえ永遠不滅の存在が何であるか考えるなら、人間の誤った勝手な分別に過ぎないというのです。
道元禅師さまは、このことばをさらに説き明かしてくださっております。
「草木叢林(そうりん)の無常なるすなはち仏性なり、人物身心の無常なるこれ仏性なり、国土山河の無常なるこれ仏性なるによりてなり。」
【草も木も、草むらも林もすべて無常であるが、それゆえにこそ仏性そのものなのだ。人も物も、身も心も無常であるが、だからこそ仏性なのである。国土や山河も無常そのものであるが、これは仏性にほかならないからなのである。】
と言うことで、
“仏性とは、無常”
であると言うことです。
無常とは、死を連想してしまいそうですが、私たちがこの世に生を受けたことも成長することも無常です。

2020.10.10
道元禅師さまのお言葉に
『人の鈍根(どんこん)と云ふは、
志の到らざる時のことなり。』があります。
人間が鈍根であるというのは、
志が起こっていない時のことをいうのである。と
私たちがどんなに努力しても、また周りの方に協力してもらってもどうにもならないことはあるかもしれない。ですが、
本人の努力によって変えることができる場合は、
強い志しを持って行動をしなければ変えることはできません。
道元禅師さまのこのお言葉には、
「私にはできない」
「私には能力、才能がない」
「私なんかには無理だ」
と言って諦めてしまいそうな私たちを奮い起たせる言葉、「しっかりと志しを起こして、実行しなさい」とうながしております。

札幌の浄国寺 日光菩薩&弥勒菩薩

清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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