曹洞宗 常圓山 皎月院

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禅のことば

2020.11.12

食事での偈文

食事を頂くにあたり、作法があり

それぞれで唱える偈文があります。

先ずは

「応量器(おうりょうき)」という

食器をひろげる際に唱える偈文

『展鉢偈(てんぱつげ)』

「仏生迦毘羅(ぶっしょうかびら) 成道摩掲陀(じょうどうまかだ) 説法波羅奈(せっぽうはらな) 入滅拘絺羅(にゅうめつくちら)

如来応量器(にょらいおうりょうき) 我今得敷展(がこんとくふてん) 願共一切衆(がんぐいっさいしゅ) 等三輪空寂(とうさんりんくうじゃく)」

【仏は迦毘羅に生まれ、摩掲陀に成道し、波羅奈に法を説き、拘絺羅に入滅したもう。

如来の応量器、我今(われいま)敷展することを得る。願わくは一切衆生と共に、等しく三輪空寂ならん】

前半は、お釈迦さまの生涯を短い語句でまとめられております。後半の如来応量器のあと4句が、展鉢の偈文です。応量器とは、

鉢多羅(はつたら)の訳で、鉢盂ともいいます。

一人の食事の量に応(かな)う器と言う意味です。

昔の修行僧、出家人はすべて供養していただいた物を受けて生活修行されてましたが、供養を受けるにあたり「量を知り、足ることを知る」が大切であり、自らが供養を受けるにあたるに相応しい行いをおこなっているかどうか。

食事は、自らの空腹を充たすというだけではなく、願わくは、すべての人々に等しく(三輪である施者、受者、施物)清らかな心を観じて、道を空寂(さとる)ことができますように。

という誓いの偈文です。

禅のことば 道元さまのお言葉

2020.11.08

仏性

「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という有名な言葉がありますが、

この世の存在はことごとく仏以外のなにものでもない

というような意味です。

では、仏性とは何なんであるのか?仏さまであれば、お釈迦さま、如来、菩薩などとわかりますが、性は何であるか?心や魂、霊魂といったものであるのか?

中国の唐の時代である六祖慧能大和尚が

「無常はすなはち仏性なり、有常はすなわち一切諸法の分別心なり」

と述べられております。

無常こそが仏の本質であり、たとえ永遠不滅の存在が何であるか考えるなら、人間の誤った勝手な分別に過ぎないというのです。

道元禅師さまは、このことばをさらに説き明かしてくださっております。

「草木叢林(そうりん)の無常なるすなはち仏性なり、人物身心の無常なるこれ仏性なり、国土山河の無常なるこれ仏性なるによりてなり。」

【草も木も、草むらも林もすべて無常であるが、それゆえにこそ仏性そのものなのだ。人も物も、身も心も無常であるが、だからこそ仏性なのである。国土や山河も無常そのものであるが、これは仏性にほかならないからなのである。】

と言うことで、

“仏性とは、無常”

であると言うことです。

無常とは、死を連想してしまいそうですが、私たちがこの世に生を受けたことも成長することも無常です。

禅のことば

2020.11.01

霜月

今年も残すところ2ヶ月となりました。

11月に入り朝晩の冷え込みが更に増してきました。

私の好きなお鍋の季節がやってきました。

食事の前に姿勢を正して合掌しながら「いただきます」は一般的ですが、曹洞宗では、お唱えをしてから食事を頂きます。

それは、

「五観の偈(ごかんのげ)」

と言う偈文です。

一には、功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り、かの来処(らいしょ)を量(はか)る。

二つには、おのれか徳行の全欠(ぜんけつ)を忖(はか)って供に応ず。

三つには、心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。

四つには、まさに良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんがためなり。

五つには、成道のための故に今この食を受く。

(意訳)
一つには、大自然の恵みと多くの人々の労苦があったことを思い感謝していただきます。

二つには、この食事をいただくにふさわしい行ないをしているかどうか反省していただきます。

三つには、好き嫌いせず味わっていただくことは、「むさぼり、いかり、ねたみ」の三毒「貪瞋癡」をおさえることですから、修養の心をもっていただきます。

四つには、健康な体と心を保つために良薬としていただきます。

五つには、円満な人格形成「仏の道を成ずるため」の為にいただきます。

禅のことば 瑩山さま

2020.10.29

坐禅

瑩山禅師さまが永光寺(ようこうじ)にて住職をされていた頃に書き記された書物に

『坐禅用心記(ざぜんようじんき)』

があります。

その一文に

『夫(そ)れ坐禅は直に人をして

心地を開明し本分に安住せしむ』

【坐禅とは、自らが自らの真実を明かにして、

本来の境地に安住することである。】と

坐禅というものは、人から学ぶものでなく

私たちがこの身をもって自分自身の真実を体感し、

自分本来の居場所である悟りの境地に、

今いることを確かめる仏の作法であるというのです。

 

禅のことば

2020.10.12

慈しむ

瑩山禅師さまの著書に

『坐禅用心記(ざぜんようじんき)』

があります。

その一文に

「常に大慈大悲(だいずだいひ)に住して

坐禅無量の功徳、一切衆生に回向せよ」と

瑩山禅師さまは、日頃からあらゆる人に対して慈悲のまなざしを向けております。

自分自身さえも捨てて、人々の安寧と幸福のために尽くすことを常に願っておりました。

それが母である懐観大姉(えかんだいし)が瑩山禅師さまに願い思い続けられていたことでもあります。

それは、

坐禅においても、慈悲のこころを常に忘れてはならないと皆に示された言葉であります。

札幌 浄国寺さまの月光菩薩

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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