2020.11.20
瑩山禅師さまの母親である
龍胎院察応懐観大姉(りゅうたいいんさつおうえかんだいし)は、瑩山禅師の本師である
義介禅師のもとで出家されました。
母の懐観大師は、大変熱心な観音さまへの信仰者でもありました。また、その母親、明智優婆夷(みょうちうばい)の存在も、観音さまへの信仰や出家する大きな影響を与えられたとされます。
懐観大姉は、なかなか子供を授かることができなかったようで、常日頃から十一面観音に願をかけていました。その願いが叶い、三十七歳の時、朝日を飲み込む夢を見て懐妊を確認されたという。
さらには、十一面観音へ礼拝し、『観音経』を読誦していたところ、瑩山禅師さまを出産されたようです。
1264年10月8日
陽暦では、11月21日です。
禅師は、幼少の頃より母に従い仏道信仰、観音さまへの信仰を欠かすことなくされ、皆を幸せに導くという、衆生済度の誓願を生涯貫かれました。
2020.10.20
10月は両祖忌(りょうそき)の法要をするお寺が多くあります。
今の陽暦では、道元禅師さまも瑩山禅師さまも9月29日ですが、お彼岸がありましたり、両大本山や永平寺東京別院、總持寺祖院での法要随喜(参加)のためかもしれません。
瑩山禅師さまの最期の詳細というのは、
1324年(正中元年)瑩山禅師さま61歳
能登の總持寺二世を峨山韶碩(がさんじょうせき)禅師を住職にされ、瑩山さまは、永光寺(ようこうじ)へ戻られます。
1325年(正中2年)死期を自覚されていたのか、
『永光寺相続文』などを記されました。
瑩山禅師さまが五哲という、五人の素晴らしいお弟子さまをそだてられました。その一人を總持寺へ。またもう一人を永光寺へと。
「相続文」により、お弟子や孫弟子が、力を会わせ永光寺を守っていくようにとの大切な文であり、これによって永光寺はもちろんのこと、總持寺や多くの寺院の運営の基礎となり、今の曹洞宗の発展へと繋がることにもなりました。
八月一日に永光寺住職を
明峰素哲(めいほうそてつ)禅師に譲られ、八日には就任の晋山式(しんさんしき)をされております。
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
(^人^)