曹洞宗 常圓山 皎月院

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禅のことば 瑩山さま

2022.07.26

日常

悟りとは日々の行いを大切にすることです

曹洞宗大本山總持寺の御開山であり

太祖常済大師(瑩山紹瑾大和尚)さまは

私たちの心と悟りの関わりについて

「茶(さ)に逢うては茶を喫し

飯(はん)に逢うては飯を喫す」

と説かれております

お茶を飲む時は飲むことに徹しご飯を食べる時には食べることに徹するのであると

日々の当たり前のことが

本当は当たり前ではなく

一つひとつ丁寧に大切にする行いを

尽くしていく事こそ

真の悟りそのものであると

説かれております

 

何事も丁寧に大切に

それは行動だけではなく会話の

言葉ひとつひとつも同じなのです

丁寧な言葉

優しい言葉

そして正しい言葉

を実践していきましょう

暑いので涼し気な

北海道は羊蹄山です

バックカントリーも楽しい時間でした

禅のことば 瑩山さま

2021.11.30

人人

瑩山禅師さまの教えのお言葉に

『人人悉(にんにんことごと)く道器なり』

【あらゆる人々は仏の教えを備えるに足る器である】

があります

私たちには各々が持つ能力がありますが、その能力に対して優劣をつけて判断してしまいがちですが

瑩山禅師さまは、すべての人が仏のように尊く、愛おしいとされるのです

仏教では、人は誰もが仏になれる仏性を備えていると説いています。

瑩山さま

2021.11.23

明智優婆夷

瑩山禅師さまの祖母です

懐観大姉が18歳頃のとき、何故か7.8年行方不明となっていた

母を探し求め、観音霊場でも信仰の有数な京都の清水寺に願をかけて日々お参りされていた 明日が満願となる日めでたく親子の再会が叶うことができました

懐観大姉は瑩山禅師さまを授かるためにと

観音さまへ1日に3,333度も礼拝され観音経を読み続けたとも言われます

そんなある日、日輪を飲む夢を見て瑩山さまを懐妊したともされる逸話があります

瑩山さまの祖母の明智優婆夷は、道元禅師さまの最初の女性門人である智姉(ちし)という人物と同一である可能性もとても高いとされております

智姉は、臨済宗開祖の栄西禅師のお弟子である明全さんのお弟子であります 道元禅師さまも明全さまを師と仰ぎ共に中国の宋へと渡り修行されました

そのようなご縁から、道元禅師さまのお弟子にもなられたのかもしれません

瑩山禅師さまの祖母の明智優婆夷、母の懐観大姉に導かれるかのように観音菩薩さまへの篤い信仰を通し仏道を歩まれるのです

 

 

瑩山さま

2021.11.22

瑩山禅師さま誕生

昨日11月21日は

太祖瑩山紹瑾禅師さまの誕生日でした

瑩山さまは、道元さまが亡くなられてから15年後

越前(福井県)にて

37歳の高齢でご懐妊され、7ヶ月めの早産で生まれました

父は了閑上座(りょうかんじょうざ)と伝わりますが俗名も含めわからないことだらけです

上座とは僧侶としての階層なので、僧侶であったかもしれません

母は懐観大姉(えかんだいし)大姉は在家の女性信徒を表します。また、懐観の母も明智優婆夷(みょうちうばい)とされ、祖母も在家の女性信徒であります

瑩山さまの家系はとても信仰のあつい篤信者なのだとおもいます

曹洞宗 瑩山さま 境内整備

2021.11.05

移転

11月5日は

大本山總持寺が

能登より移転された日とされます

 

太祖瑩山紹瑾けいざんじょうきん禅師が開かれた總持寺は

明治31年(1898)の大火により

明治44年(1911)に横浜市鶴見へ移転されることになりました

また、平成19年(2007)3月

能登沖で発生した地震により大被害を受けましたが、

14年の歳月をもって 全ての伽藍復興の修繕工事が無事に終わられました

更には、開創700年を迎えることもできました

能登の總持寺祖院では只今

皆様の参拝をお待ちしております

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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