
2017.01.20
曹洞宗梅花流詠讃歌に追弔御和讃(ついちょうごわさん)と言う曲がございます。
『その名を呼べば こたえてし 笑顔の声は ありありと 今なお耳に あるものを
おもいは胸に せき上げて とどむるすべを いかにせん 溢るるものは 涙のみ』
こちらは3番まである曲の1番にあたります。
1972年(昭和47)、創立20周年記念大会で発表された曲になります。
『追弔』とは、「死後にその生前をしのびとむらうこと。亡き人の冥福を祈られたり、法要をする事」の意味です。
今までは、当たり前だった。その名前を呼べば、笑顔で振り向きこたえてくれたし、その声は今にも聞こえてくるようです。「死」を目の前にしたときに、悲しみが込み上げてきて涙が止まらない、そういう「切実」なようすを詠みあげております。
私も思いを込めてお唱えしたいと思います。

2017.01.19
今年は御詠歌の検定試験が3月にあります。
4年前に御詠歌養成所へ2年間で基礎を学び、4級という資格を頂きました。それから丸2年。ここで3級を受験できることになるました。
この2年間、自分なりに精進してきましたので、今の私を評価していただければと思っております。
益々仏道を歩むに辺り、まずは今できる御詠歌を通して曹洞宗の教えを伝えて参りたいとおもいます。
今夜も教えていただきに、小津町の法心寺さまへ行ってきます。


2017.01.13
昨日は今年初の御詠歌のお稽古をいただきに町田の宗保院さまへと行ってまいりました。
今年最初の曲は『高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)道元禅師第一番御詠歌』タイトル「梅花」でした。
歌詞は、
「 荒磯(あらいそ)の 波も得(え)よせぬ 高岩(たかいわ)に
かきもつくべき 法(のり)ならばこそ」
この歌詞は、道元禅師さまが45歳の時、福井県永平寺を離れ鎌倉へと出向き、鎌倉幕府執権職の北条時頼氏より「仏法とはいかなるものか」問いにお答えしましたものです。
この歌の大意は、 高岩に掻き付く海苔があるように、尊い教えであればこそ、それを求め伝えようとする人々によって、書き尽くし、書き残そうとする努力が積み重ねられ正しく伝わるのです。

2017.01.11
喫茶去(きっさこ)
嫌いな人にも一杯のお茶を差し出せる余裕
お茶を差し出せることほど、私たちの心を写し出すものはないかと思います。苦手な人が来ても、お茶を召し上がれと言えるかどうか?
ご法事の時間ギリギリに来られた方々、言い訳をしたい人に対して、ご苦労さま、お疲れさま、と、まずは一杯、と相手の呼吸を整えてあげることを考える事を考えられますか? ねぎらいの気持ちの一杯。
お茶を召し上がれ、というただそれだけの言葉が 『喫茶去』(きっさこ)です。
皎月院にお参りには、暖かい一杯のお茶をどうぞ

清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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