曹洞宗 常圓山 皎月院

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観音さま

2020.07.29

瑩山禅師さまと観音さま

瑩山さまは、道元さまが亡くなられた11年後の1264年10月8日に(陽暦11月21日)にお生まれになられました。

瑩山さまの母である懐観大姉(えかんだいし)は、

なかなか子供に恵まれませんでした。

日頃から、十一面観音さまへの信仰を欠かしませんでした。

子供を授かりたいとの一心で「観世音菩薩普門品」を読誦礼拝され、

三十七歳のとき、瑩山さまが誕生されました。

曹洞宗梅花流詠讃歌では

「太祖常済大師瑩山禅師誕生御和讃」(たいそじょうさいだいし)とし

1番【此の世の人を 救うべき 良き子をわれに 授けよと

真心こめて 母ぎみは 観音菩薩に いのらるる】

3番【誓願(ねがい)かないて 生まれしは 世にもめでたき 御子にして

救世(ぐぜ)の御姿(みすがた) おのずから そなわりたもうぞ 有難き】

幼少のころは、石を積んでは宝塔とみたてたり、

土いじりでも仏像を作られていたそうです。

常日頃から観音さまへの信仰が当たり前であったと見受けられます。

13歳で永平寺二世の懐弉さまの最後のお弟子として得度をされ、

懐弉さまが亡くなられたあと、三世義介さまのもとで修行され

25歳のとき観音さまと同じ誓願『大悲の弘誓』(だいひのぐぜい)を立てられました。

それは、”生きとし生けるすべての衆生を救うまでは、仏にならず菩薩のまま救済し続ける”ということです。

瑩山さまは母が87歳でお亡くなりになられると、

祖母や母が日々手を合わせ礼拝しておりました十一面観音さまを本尊とする

円通院を建立されました。「円通」とは、観音菩薩の別名称でもあります。

 

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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