曹洞宗 常圓山 皎月院

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禅のことば 修証義 曹洞宗 道元さまのお言葉

2021.04.01

今日

曹洞宗の教義内容を書かれている経典である

『修証義』(しゅしょうぎ)

道元禅師さまの教えが書き残されている

『正法眼蔵』の本文をもとに編集されております。

修証義は、全五章、31節、3704字にまとめ上げられております。

その冒頭は、

「生(しょう)を明(あき)らめ死を明らむるは仏家一大事(ぶっけいちだいじ)の因縁なり」

とあります。

生とはなにか、死とはなにか。

私たちは何のために生まれ、どのように生きて行くべきなのか。それを少しでも明らかにすることが仏道を行く者である私たちのつとめなのである。と言っております。 これは、仏道を歩むものだけではなく、人として生まれてきた私たち全ての人が考え続ける事なのかもしれません。なので「一大事」と最も大切で重要なことと示されているのではないでしょうか。紆余曲折しながらも前に進む精進、今を大切にする教えでもあります。

木版(もっぱん)と言う時を告げるために打ち鳴らす木の板に書かれている言葉は、

「大衆に白(もう)す

生死事大(しょうじじだい)

無常迅速(むじょうじんそく)

各宜醒覚(かくぎせいかく)

慎勿放逸(しんもつほういつ)」

時は人を待たずにすみやかに流れる

無駄に時間を費やすことなく今の修行に励み一大事に向き合うのである。

と言う戒めであります。

今を大事にです。

 

 

 

禅のことば 修証義 道元さまのお言葉

2021.03.02

弥生

3月となりました。

道元禅師さまは

「行持ある一日」を尊ばれました。

「行持ある一日」とは、

仏の教えに従いながら過ごし生きる1日を言います。

また、「1日こそ重要である」と言い

「この1日は大切にしなければならない重要な宝物である」とも言われます。

道元禅師さまの著書である

『正法眼蔵』や曹洞宗の教本である修証義5章の一文に

『この一日の身命(しんめい)は、尊ぶべき身命なり、貴(とうと)ぶべき形骸(けいがい)なり』と

【この一日の命を、仏の教えに任せて生きる、この一日のの身体を、仏の教えに従って生きる、これこそが尊いことである】

私たちは「いま」を生きています

昨日や明日といった過去や未来を思い考えてしまいますが、結局は「いま」の自分であり、自分の思いの中にあるに過ぎない。

この「いま」を大切にして参りましょう。

 

 

修証義 道元さまのお言葉

2020.08.16

菩提心

『若(も)し菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)して後六趣四生(のちろくしゅししょう)に輪転(りんでん)すと雖(いえど)も其輪転(そのりんでん)の因縁皆菩提(いんねんみなぼだい)の行願(ぎょうがん)となるなり』

これは道元禅師さまの『正法眼蔵』の渓声山色(けいせいさんしょく)の一文章であり

曹洞宗の修証義(しゅしょうぎ)という経典の第二十節

四章「発願利生(ほつがんりしょう)」の初めの方の一文にもあります。

これをわかりやすくしてみますと、

【もしも菩提心(仏教徒としての修行を志す心、思いを起こすこと)をおこしたのであれば、その後に地獄などと言った六道をめぐり、たとえさまざまな形で生まれ変わったとしても、そのことがそのまま因となったり、縁となったりされ、さとりへの道へと導かれるものである】と

このようにとらえるかと思います。

道を求める心、菩提心。

これは、やる気?とも解釈できるのかもしれません。

やる気を持ったということは、正しい道を正しく生きるために、正しい教えを聞こうと願われたということ。たとえ教えのとおりに実践できなくても、やる気をもっていれば、紆余曲折したり、左右にぶれているかのように思えても、しだいにそのふれ幅は狭まれていき、さとりの軌道をあゆまれているものなのです。

 

菩提心というやる気こそが大切なんでしょう。

札幌の浄國寺さまにて

 

修証義

2017.04.28

修証義 四門出遊

同じく四句で
七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)があります。

諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
(諸々の悪をしてはいけない。衆の善は大切に行いなさい。そうすると自らその意を浄めることになる)

お釈迦さままでにこの世に出られた七人の仏さまが、どなたにも共通して説かれた教えです。

悪いことはいくらでもありますが、一生の修行の中では、悪いことというのは、しようにもできなくなっていき、善いことというのは、自分のなすべきことを大切に行っていく以外にないという。お言葉です。

修証義の冒頭、

生をあきらめ死をあきらむるは 仏家一大事の因縁なり。
(私たちが生きている真実とはどういうことか、死とはどういうことか、その真実を明らかにするのが仏法者の一番大切な問題である)

生きているとはどういうことか。生まれるとはどういうことか。
この世に生があるから私が生まれた。
親や周囲の助けがあり育ちますが、地球上の空気、温度、様々な条件の中で、生かされ生きているのかもしれませんん。
生きているものは必ず死があります。お釈迦さまは何不自由ない境遇で、なに不足ない資質を持って生まれながらも、そこに落ち着くことができなかったのは、人の死を見、老いを見、病に臥す姿を見たからでした。生きている限り必ずついてくる死を真正面から見つめることから、仏教が始まりました。
生まれたおかげで、死という恐ろしいものと必ず直面しなければならない。死から逃れられないのであれば、生が苦の根源になってしまいます。この苦から逃れる道を求め、私たちに教えてくださったのが
釈尊 お釈迦さまです。

修証義

2017.04.27

修証義 1

修証義(しゅしょうぎ)は、曹洞宗の宗典として明治23年(1890)12月に制定され公布されました。 かれこれ127年も経ちました。

修証義は、道元禅師の『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)の名文句をつなぎ合わせ、一般家庭の人でも読誦して意味のわかるようにまとめられたものです。

道元禅師さまのお言葉にも
 自己の正体に気がついて仏と同じ生活ができるようになることは、必ずしもたくさんの教えを聞き、たくさんの言葉を覚えることによるものではない。たくさんの教えを聞き、広く仏教の学問をした人も、得道するには一四九偈(いちしくげ)からでも得道する。

例えば、
諸行無常(しょぎょうむじょう)是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめつい)寂滅為楽(じゃくめついらく)
 (諸行は無常である。これが生滅の方である。生滅をも滅しおわった時、この寂滅を真の楽しみとする)

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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