曹洞宗 常圓山 皎月院

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修証義 未分類

2022.11.29

発願利生

曹洞宗の聖典である「修証義」

私のご法事では四章より読経することが多いです

修証義三章では

仏教徒で大切な

三帰戒、三聚浄戒、十重禁戒の

十六条の戒律を受けることにより仏さまと同じ位につかれると説かれております

仏さまの位へとつかれたら

必然と生きとし生けるものを救おうとする誓願や菩提心が沸き起こるとされます

第四章では、この菩提心の1つである

慈悲の心について説かれています

慈悲とはお釈迦さまの教えの中心です

四章冒頭の第十八節

「菩提心を発すというは、己れ未だ渡らざる前に一切衆生を渡さんと発願し営むなり、〜〜苦にありというとも楽にありというとも、早く自未得度先度佗の心を発すべし」

【自分を優先してしまい、他人を省みないおこないや心から離れ、すべての衆生を救済しようとする発願することが慈悲心であり、菩提心である。】

「仏心とは大慈悲心これなり」とも説かれています

多くの衆生、生きとし生けるものたちの苦しみを救済したいとの願いや思いが根本です

禅学大辞典には

「慈悲は与楽、衆生をいつくしみ、衆生に幸福を与えること。悲は抜苦、衆生の困難を救い、苦境を脱せしめること。慈悲は慈・悲・喜・捨の四無量心に含まれ、また佛・菩薩の衆生救済の方便として、最も重んぜられる。特に佛の慈悲は無限であるから、大慈大悲という。」

 

 

 

 

 

 

修証義 お経

2022.10.31

修証義

私たち曹洞宗独自のお経であり、宗典として

『修証義』(しゅしょうぎ)があります

修証義というお経ができたのは明治23年(1890年)の12月1日です

まもなく公布され133年になります

この修証義というお経は

御開山道元禅師さまが書き残された

『正法眼蔵』というとても難しい哲学的な書物より抜粋されてできておりますが

私たちにも何とかわかるようにと作られたお経ですので

是非ともご法事では一緒にお読みしたいと思っております

修証義は

第一章 総序(仏教の基本的立場)

第二章 懺悔滅罪(本証) 第三章 受戒入位(本証)

第四章 発願利生(妙修) 第五章 行持報恩(妙修) とされ

第二章から五章までを「四大綱領(しだいこうりょう)」としております

四大綱領とは曹洞宗の教義です

・懺悔滅罪(さんげめつざい)とは、仏教を信じて自分を見つめなおし反省し、迷いのない生活をしなければならないと言うこと

・受戒入位(じゅかいにゅうい)とは、生活をする上で規則やルールといった約束を守り、正しい毎日を送らなければならないと言うことです

・発願利生(ほつがんりしょう)とは、自分だけのことを考えるのではなく、いつも周りの皆が幸せに生きていくことを願い心がけなければならないと言うこと

・行持報恩(ぎょうじほうおん)とは、お釈迦さまのです教えを学び、その教えを実践していき、日頃から感謝の気持ちをもちながら生活をしなければならないと言うことです

 

禅のことば 修証義 曹洞宗 道元さまのお言葉

2021.04.01

今日

曹洞宗の教義内容を書かれている経典である

『修証義』(しゅしょうぎ)

道元禅師さまの教えが書き残されている

『正法眼蔵』の本文をもとに編集されております。

修証義は、全五章、31節、3704字にまとめ上げられております。

その冒頭は、

「生(しょう)を明(あき)らめ死を明らむるは仏家一大事(ぶっけいちだいじ)の因縁なり」

とあります。

生とはなにか、死とはなにか。

私たちは何のために生まれ、どのように生きて行くべきなのか。それを少しでも明らかにすることが仏道を行く者である私たちのつとめなのである。と言っております。 これは、仏道を歩むものだけではなく、人として生まれてきた私たち全ての人が考え続ける事なのかもしれません。なので「一大事」と最も大切で重要なことと示されているのではないでしょうか。紆余曲折しながらも前に進む精進、今を大切にする教えでもあります。

木版(もっぱん)と言う時を告げるために打ち鳴らす木の板に書かれている言葉は、

「大衆に白(もう)す

生死事大(しょうじじだい)

無常迅速(むじょうじんそく)

各宜醒覚(かくぎせいかく)

慎勿放逸(しんもつほういつ)」

時は人を待たずにすみやかに流れる

無駄に時間を費やすことなく今の修行に励み一大事に向き合うのである。

と言う戒めであります。

今を大事にです。

 

 

 

禅のことば 修証義 道元さまのお言葉

2021.03.02

弥生

3月となりました。

道元禅師さまは

「行持ある一日」を尊ばれました。

「行持ある一日」とは、

仏の教えに従いながら過ごし生きる1日を言います。

また、「1日こそ重要である」と言い

「この1日は大切にしなければならない重要な宝物である」とも言われます。

道元禅師さまの著書である

『正法眼蔵』や曹洞宗の教本である修証義5章の一文に

『この一日の身命(しんめい)は、尊ぶべき身命なり、貴(とうと)ぶべき形骸(けいがい)なり』と

【この一日の命を、仏の教えに任せて生きる、この一日のの身体を、仏の教えに従って生きる、これこそが尊いことである】

私たちは「いま」を生きています

昨日や明日といった過去や未来を思い考えてしまいますが、結局は「いま」の自分であり、自分の思いの中にあるに過ぎない。

この「いま」を大切にして参りましょう。

 

 

修証義 道元さまのお言葉

2020.08.16

菩提心

『若(も)し菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)して後六趣四生(のちろくしゅししょう)に輪転(りんでん)すと雖(いえど)も其輪転(そのりんでん)の因縁皆菩提(いんねんみなぼだい)の行願(ぎょうがん)となるなり』

これは道元禅師さまの『正法眼蔵』の渓声山色(けいせいさんしょく)の一文章であり

曹洞宗の修証義(しゅしょうぎ)という経典の第二十節

四章「発願利生(ほつがんりしょう)」の初めの方の一文にもあります。

これをわかりやすくしてみますと、

【もしも菩提心(仏教徒としての修行を志す心、思いを起こすこと)をおこしたのであれば、その後に地獄などと言った六道をめぐり、たとえさまざまな形で生まれ変わったとしても、そのことがそのまま因となったり、縁となったりされ、さとりへの道へと導かれるものである】と

このようにとらえるかと思います。

道を求める心、菩提心。

これは、やる気?とも解釈できるのかもしれません。

やる気を持ったということは、正しい道を正しく生きるために、正しい教えを聞こうと願われたということ。たとえ教えのとおりに実践できなくても、やる気をもっていれば、紆余曲折したり、左右にぶれているかのように思えても、しだいにそのふれ幅は狭まれていき、さとりの軌道をあゆまれているものなのです。

 

菩提心というやる気こそが大切なんでしょう。

札幌の浄國寺さまにて

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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