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仏教

2021.08.23

法相宗

法相宗の法相とは、この世の存在のあり方のことを言い、目の前にある存在する物だけでなく、過去現在未来と変化するすべての現象を解き明かす理論とされております。

存在するものは変化し消滅する

という解釈を研究され

大乗仏教の「空」の思想をもとにしています。

ですので、西域記(西遊記の物語でも有名な三蔵法師のモデル)の三蔵である僧 玄奘のもとで法相教学を学ばれている道昭により日本へ伝わり

南都六宗のなかでも特に栄えた宗派です。

現在、法相宗の大本山として

興福寺と薬師寺があります。

道昭は629年の26歳の時に遣唐使船で渡航された

三蔵法師と言われる玄奘のもとでいろいろと学ばれ

『続日本書紀』に残されている言葉で

「私がかつて西域に旅をしたとき、飢えに苦しみ、食を乞うところもなかった。そのとき1人の僧が現れ、手に持っていた梨の実を私に与え食べさせてくれた。今、お前はあの梨をくれた法師と同様である」

このように残されており

玄奘は

道昭を昔の恩人と重ね合わせられ、とても大事にされていたようです

そのため、道昭が帰国されるさいには

舎利と経典、西域で手に入れた鍋を贈られた

 

経典は『成唯識論じょうゆいしきろん』であります

『続日本書紀』に残される玄奘の言葉として

「経論は奥深く微妙で、究めてつくすことは難しい。それによりお前は禅を学んで日本に広くすすめると良いだろう」と逸話かも知れませんが

禅をすすめられたされます

道昭は660年頃に日本に帰国されたようですが

いっとき、海上船がすすまなかったようで(海神の竜王が止めていたらしく)

玄奘から頂いた鍋を海中へなげられたら

無事に船が進まれたと

道昭は帰国後、社会事業に尽力され

680年、天武天皇の勅命により往生院(大阪府)を建立されます

71歳で薬師寺の開眼供養の講師をされたが

翌年700年72歳で亡くなれ

日本で初めて火葬された人物ともされております

 

結論からすれば

 

中国へわたり

玄奘のもとで法相教学を学んだ

日本の法相宗の宗祖です

行基や鑑真より前ですかね

 

 

 

 

 

 

 

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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