曹洞宗 常圓山 皎月院

仏教

2021.08.31

鑑真和上 追記

鑑真は日本の仏教の興隆を願い

12年の歳月をかけ来日された

5回目の航海では、遥か南の海南島に漂着されたが

数々の苦難、過酷の旅により鑑真は盲目となられたが753年

66歳の年に日本へ上陸される

この渡航にて多くの伝来した品々があったようです

「東征伝」によりますと

仏像・経典・仏具などの他にも

薬やお香(医薬薬)など600種

食料品も多く、砂糖や味噌など、今でも私たちの身近なものも

鑑真来日と共に医療の発展、食品により生活の向上にもなり

多大な恩恵をうけられたことになられた

763年旧暦の5月6日 76歳

西の方へ向き結跏趺坐(坐禅)されたまま亡くなられたと記録に残されております

仏教

2021.08.30

律宗

南都六宗の1つである律宗

鑑真和上や唐招提寺と聞くと最もわかるかと思います

律宗の律とは

仏教教団内の生活規範ルールの事で戒律を意味します

奈良時代、日本の仏教は飛躍的に発展を遂げておりましたが、仏門へ入る人、正式に僧侶となるために戒律を授けることができる僧がいなかった。授戒制度がしっかり整っていないため、安易に出家、一時的に避難するかのように出家する者が増え問題になっていたようだ。そのため、唐へ渡り日本で授戒ができる高僧を探すこととなり、日本から栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が派遣された。9年後の742年ついに鑑真と出合い、来日を決意されるが容易ではなかった。

1回目は弟子の密告で挫折

2回目は暴風雨で断念

その後も失敗される。その間に栄叡が病で亡くなる

753年 6回目 遣唐使船で薩摩坊津に上陸された。12年の永きにわたり意思を貫かれ来日された鑑真は、

東大寺仏殿に戒壇を築き、上皇や天皇など400名に授戒される。その他にも薬師寺、太宰府の観世音寺にも戒壇院を設けられ「天下三戒壇」として整備される

また、律宗の本山である唐招提寺を759年に創建され開祖ともなられた

戒律の基本は五戒である

  1. 不殺生 生き物を殺してはならない
  2. 不偸盗 与えられていないものを取らない
  3. 不邪淫 性的に邪な行為、不倫をしない
  4. 不妄語 嘘をついてはいけない
  5. 不飲酒 理性を破壊する麻薬や酒をのまない

鑑真が伝えられた4種類の律「四分律」は、上座部の法蔵部に伝われたものとされる

 

日本に本格的な戒律と授戒制度を確立された

 

改修工事

2021.08.30

改修工事

しっかりと基礎が建てられております

仏教

2021.08.28

華厳宗

南都六宗の1つである華厳宗の大本山は

奈良の大仏で有名な東大寺です。

宗祖は良弁(ろうべん)であるが

中国の唐から華厳宗が日本へ伝来し、その教えを道璿(どうせん)が広められた。また唐で華厳宗を学んで帰国された大安寺の僧である審祥(しんしょう)により『華厳経』の教えを学ばれ、没頭される

法華経の教え受け継がれ

東大寺を建立し

蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)という浄土に住んでいる盧遮那仏を本尊とされた

華厳宗の教えは、すべてのものの存在は

過去現在未来で

直接的、間接的につながっているという

円融無碍(えんゆうむげ)を説いており、密教や禅の思想にとても影響を与えられております

日本華厳宗の宗祖となられた良弁を篤く新任された聖武天皇が病に伏せられたとき、病気平癒祈願を律宗の宗祖である鑑真と共に行われているともされております。

 

仏教

2021.08.23

法相宗

法相宗の法相とは、この世の存在のあり方のことを言い、目の前にある存在する物だけでなく、過去現在未来と変化するすべての現象を解き明かす理論とされております。

存在するものは変化し消滅する

という解釈を研究され

大乗仏教の「空」の思想をもとにしています。

ですので、西域記(西遊記の物語でも有名な三蔵法師のモデル)の三蔵である僧 玄奘のもとで法相教学を学ばれている道昭により日本へ伝わり

南都六宗のなかでも特に栄えた宗派です。

現在、法相宗の大本山として

興福寺と薬師寺があります。

道昭は629年の26歳の時に遣唐使船で渡航された

三蔵法師と言われる玄奘のもとでいろいろと学ばれ

『続日本書紀』に残されている言葉で

「私がかつて西域に旅をしたとき、飢えに苦しみ、食を乞うところもなかった。そのとき1人の僧が現れ、手に持っていた梨の実を私に与え食べさせてくれた。今、お前はあの梨をくれた法師と同様である」

このように残されており

玄奘は

道昭を昔の恩人と重ね合わせられ、とても大事にされていたようです

そのため、道昭が帰国されるさいには

舎利と経典、西域で手に入れた鍋を贈られた

 

経典は『成唯識論じょうゆいしきろん』であります

『続日本書紀』に残される玄奘の言葉として

「経論は奥深く微妙で、究めてつくすことは難しい。それによりお前は禅を学んで日本に広くすすめると良いだろう」と逸話かも知れませんが

禅をすすめられたされます

道昭は660年頃に日本に帰国されたようですが

いっとき、海上船がすすまなかったようで(海神の竜王が止めていたらしく)

玄奘から頂いた鍋を海中へなげられたら

無事に船が進まれたと

道昭は帰国後、社会事業に尽力され

680年、天武天皇の勅命により往生院(大阪府)を建立されます

71歳で薬師寺の開眼供養の講師をされたが

翌年700年72歳で亡くなれ

日本で初めて火葬された人物ともされております

 

結論からすれば

 

中国へわたり

玄奘のもとで法相教学を学んだ

日本の法相宗の宗祖です

行基や鑑真より前ですかね

 

 

 

 

 

 

 

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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