2020.11.15
毎月1日・15日は祝祷日(しゅくとうび)とされ
祝祷諷経としてお経を諷誦いたします。
基本的には、『摩訶般若波羅蜜多心経』を諷誦いたします。
その廻らす功徳である
<回向(えこう)>文は、
『巍巍(ぎぎ)たる金相(こんそう)、堂堂(どうどう)たる覚王(かくおう)、三界(さんがい)の独尊(どくそん)、万霊(ばんれい)皆な仰ぐ。
山門この令辰(れいしん)に遇う毎に、謹んで合山の清衆を集め、恭しく大仏宝殿に就いて、
摩訶般若波羅蜜多心経を諷誦する功徳は、
大恩教主本師釈迦牟尼仏、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし道元禅師)、太祖常済大師(たいそじょうさいだいし瑩山禅師)に供養し奉り、
仰いで広大の慈恩を冀(こいねが)い、俯して永劫(ようごう)の霊徳に感ず。
専ら祈る。正法興隆、国土安穏、万邦和楽、諸縁吉祥ならんことを。』
「大いなる仏、金色に輝く大人(だいにん)の相をされている仏、どうどうとされたお姿の覚りを成就された仏、三界(欲界・色界・無色界とされるこの世のすべてにおいて尊い)とされるこの上ない尊いお釈迦さまの徳を、私たちは皆仰いでおります。
本日の祝祷日、謹んで私たちは仏殿(本堂)において、摩訶般若波羅蜜多心経を読誦し、お釈迦さま、道元禅師さま、瑩山禅師さまの一仏両祖にご供養いたします。
合掌、礼拝しまして広く大いなる、慈しみに充ちた恵みを仰ぎ、いつまでも変わることない妙徳をいただかせて頂きます。
更に祈るところは、お釈迦さまをはじめ、多くの祖師方の教え、慈愛、和平をこの世のすべての生きとしいけるものへ廻らし、皆がめでたく幸せでありますようにと念じます」
このような意味の回向文であります。
《釈迦如来像》
仏道修行=発菩提心(ほつぼたいしん)であります。
2020.11.15
食事の最後にお唱えする偈文
『処世界梵』または『後唄』
と言っております。
『處世界如虚空(ししかいじきくん)
如蓮華不著水(じれんかふじゃしい)
心清浄超於彼(しんしんじんちょういひ)
稽首礼無上尊(きしゅりんぶじょうそん)』
【世界に処すること虚空の如く、
蓮華の水に著かざるが如し。
心の清浄なることは彼よりも超え、
稽首して無上尊を礼してたてまつる。】
三毒の欲を取り除き、仏さまのこころは、澄みわたった大空のようであり、美しい蓮の花が決して泥水に汚されないようである。心が清らかであれば、美しい花よりも麗しいものであり、その心のままお釈迦さまへ帰依することも礼拝すること自然とされることでしょう。食事をいただける歓喜は、慈悲・慈愛に満ちあふれ、感謝せずにはいられません。
日々の食事、三度の食事本当にありがとうございます。
合掌。
2020.11.15
折水(せっすい)とは、
食べ終わった器にお湯を入れ器を洗います。
その洗い終わった水のことを言います。
洗い終わった水には、少なからず食事の残りが溜まります。この残り水や物も粗末にせず河山の生き物へと施します。
この水を回収する際にお唱えします
折水の偈文があります。
『我此洗鉢水(がしせんばっすい) 如天甘露味(にょてんかんろみ) 施与鬼神衆(せよきじんしゅ) 悉令得飽満(しつりょうとくぼうまん) 唵摩休羅細娑婆訶(おんまくらさいそわか) 』
【我が此の鉢を洗いし水は、天の甘露の味の如し、鬼神衆に施し与えて、悉く飽満を得せしめん
唵摩休羅細娑婆訶は、[真言]であります。
オン(帰命) マクラ(吉祥) サイ(至極) ソワカ(円満・成就)】
2020.11.14
いざ食事をいただく最後の作法に
頭鉢(ずはつ)を恭しく捧げます。
頭鉢とは、応量器のお粥やご飯を入れるもっとも大きい器を言います。また、最も大切にしなければならないものでもあります。それは、お釈迦さまの頭であるかのようにと、教えられました。
擎鉢の偈文
『上分三宝(じょうぶんさんぼう)
中分四恩(ちゅうぶんしおん)
下及六道(げきゅうろくどう)
皆同供養(かいどうくよう)
一口為断一切悪(いっくいだんいっさいあく)
二口為修一切善(にくいしゅいっさいぜん)
三口為度諸衆生(さんくいどしょしゅじょう)
皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)』
【上は三宝に分ち、中、四恩に分かち、下は六道に及ぼし、皆同じく供養せん。
一口には一切の悪を断ぜんが為にし、二口には一切の善を修せんが為にし、三口には諸々の衆生を度せんが為にし、皆共に仏道を成ぜんことを】
ご飯をいただく前に頭鉢を頭の前まで捧げお唱えします。この食事は、
上は仏法僧の三宝に捧げ、父母、如来、師への四恩に報じ、したは、六道界である全てのものに哀愍を施し、分け隔てなく同じく供養しよう。
一口ごとにもろもろの悪をたち、すべての善行を行い、限りない世の中の迷いを覚まさせ、苦悩を救い、悟りの彼岸へと渡り、皆がともに無上のいのちに目覚めれる仏道を成就できるためにいただきましす。
食事を受けた者だけではなく、この食事を施してくださった皆には、布施の功徳によって共に安らぎを得ることができますよう心から願いましょう。
2020.11.13
生飯をさばと呼びます。
中食(ちゅうじき 昼食)を頂く時
自分の頂いたご飯の中から
米粒を(七粒)手でつかみ取り、生きとしものへ施します。それが、
生飯であり、偈文をもちろん唱えます。
『汝等鬼神衆(じてんきじんしゅ) 我今施汝供(ごきんすじきゅう)
此食遍十方(すじへんじほう) 一切鬼神共(いしきじんきゅう)』
【汝等鬼神衆よ、我れ今汝に供を施します。
此の食は十方に遍(あまね)くして、一切の鬼神と共にせんことを。】
汝ら飢えによって苦しむものたちよ、私はいま仏の加護によって、皆に供養いたしましょう。
一粒を七斛(しちこく)として十方にあまねからしめ、数限りない一切の飢えた者が共に飽満しうるように。
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
(^人^)