2020.11.22
本日は、二十四節季の1つである
「小雪(しょうせつ)」です。
寒さがまだ深まらず、雪もわずかであるという意味です。
3年前は、御詠歌研修の為に岡山県の洞松寺さまへ
この日もとても寒かったです。
小雪こゆきと読む時は、気象庁の予報用語とされ、
一時間の間に降り続いた量が1mm以下の雪の量の時に使われるようです。
2020.11.21
本日(陽暦)11月21日は瑩山禅師さまの誕生の日です。
母の深い観音さま信仰に支えられて生をうけられた瑩山禅師さまは、道元禅師さまのように衆生済度の誓願をされております。
道元禅師さまは当時の仏教界が結界などとして女人禁制を説かれていた事に対して批判されております。同様に、男女の平等を唱え、仏道を求める女性も道元さま、瑩山さまのもとへあつまられました。
『一願は、今生の慈母、懐観大姉、最後の遺言において、領納の発願、是れ女流済度の菩提なり、敢えてあざむくべからず。遺命によって、これを護持すべし。』
このように女性に対する思いも書き残されております。
仏教、曹洞宗の誓願とは、慈悲心です。人々の生命、自然の生命、全てにおける命の尊厳を大切にするということです。
2020.11.20
瑩山禅師さまの母親である
龍胎院察応懐観大姉(りゅうたいいんさつおうえかんだいし)は、瑩山禅師の本師である
義介禅師のもとで出家されました。
母の懐観大師は、大変熱心な観音さまへの信仰者でもありました。また、その母親、明智優婆夷(みょうちうばい)の存在も、観音さまへの信仰や出家する大きな影響を与えられたとされます。
懐観大姉は、なかなか子供を授かることができなかったようで、常日頃から十一面観音に願をかけていました。その願いが叶い、三十七歳の時、朝日を飲み込む夢を見て懐妊を確認されたという。
さらには、十一面観音へ礼拝し、『観音経』を読誦していたところ、瑩山禅師さまを出産されたようです。
1264年10月8日
陽暦では、11月21日です。
禅師は、幼少の頃より母に従い仏道信仰、観音さまへの信仰を欠かすことなくされ、皆を幸せに導くという、衆生済度の誓願を生涯貫かれました。
2020.11.18
皎月院のホームページを立ち上げ
私のブログを始めてから
今回の投稿で
1,000回を迎えました。
御詠歌を通して学ぶことができ、
またブログを投稿することで
仏教、曹洞宗の教えを自分でも学ぶ励みとなりました。これからもコツコツと精進して参りたいと思います。
本日は、道元禅師さまの
遺言を紹介させて頂き、
少しゆるんだ紐を今一度締め直したいと思います。
《遺偈》
『五十四年照第一天
打箇勃跳觸破大千
咦
渾身無覓活陥黄泉』
【五十四年、第一天を照らす。
この勃跳(ぼっちょう)を打して、
大千(だいせん)を触破(そくは)す。
ああ
渾身(こんしん)もとむるなく、
活(い)きながら黄泉(こうせん)に陥(お)つ】
《五十四年の間、
ひたすら第一天を照らし(ひとすじに仏法を求め)、
飛び跳ねて宇宙の果てまで駆けめぐった(正伝の仏法とめぐりあった)。
ああ、いきながら黄泉に落ちようとも、
もう何も求めることはない。》
2020.11.17
道元禅師さまは、
1244年(寛元2年)9月25日に
【初雪を詠ず】とし
『長月の 紅葉のうへに ゆき降て
見ん人たれか 歌をよまさる』
と詠まれております。
後に永平寺と改称される大仏寺において、
紅葉の木々の上に降った真っ白な初雪を
目にされました。
初雪に感動されただけではなく、
ついにこの地、この場から仏道の正しい教えを。
正法を行じていくのだとという新たなる思いを持って、今ある目の前の風景を忘れずに眺められていたのではないでしょうか?この景色を見て、詩を詠まずにいられるであろうか、とお弟子たちにも語りかけていられる様子さえも想像してしまいます。
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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