曹洞宗 常圓山 皎月院

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曹洞宗

2020.10.23

峨山禅師

今月10月はとても忙しい月なのです。

九月末の永平寺での道元禅師さまの命日のお参りが終わると、東京の永平寺別院や總持寺、能登の總持寺祖院。10月5日の中国に禅を初めて伝えた達磨大師のご命日。九月十四日は、永平寺三世徹通義介禅師さまの御命日なのですが、10月14日におこなってます。

そして、大本山總持寺の基礎を築かれた

峨山禅師さまの御命日が十月二十日です。

峨山禅師さまは1366年(貞治6年)91歳で亡くなられました。

峨山禅師さまは、總持寺に40年余りの他、永光寺に三度住職をされてもいます。

また伽藍を整備されたり、数多くのお弟子を育てられ「五哲(ごてつ)」や「二十五哲」と称する素晴らしいお弟子により、總持寺の発展に貢献されました。

そのお一人の「通幻寂霊(つうげんじやくれい)大和尚」さまからの系統が分かれ分かれてもおりますが、皎月院につながり、

現住職である

文泰和彦(ぶんたいわげん)大和尚は、

お釈迦さまから数えますと86代目であり、

道元禅師さまから三十四代目。

皎月院が1576年に開かれてますが、

いまは二十一代目(昭和63年10月に晋山式)でもあります。

 

 

曹洞宗 瑩山さま

2020.10.20

瑩山さま

10月は両祖忌(りょうそき)の法要をするお寺が多くあります。

今の陽暦では、道元禅師さまも瑩山禅師さまも9月29日ですが、お彼岸がありましたり、両大本山や永平寺東京別院、總持寺祖院での法要随喜(参加)のためかもしれません。

瑩山禅師さまの最期の詳細というのは、

1324年(正中元年)瑩山禅師さま61歳

能登の總持寺二世を峨山韶碩(がさんじょうせき)禅師を住職にされ、瑩山さまは、永光寺(ようこうじ)へ戻られます。

1325年(正中2年)死期を自覚されていたのか、

『永光寺相続文』などを記されました。

瑩山禅師さまが五哲という、五人の素晴らしいお弟子さまをそだてられました。その一人を總持寺へ。またもう一人を永光寺へと。

「相続文」により、お弟子や孫弟子が、力を会わせ永光寺を守っていくようにとの大切な文であり、これによって永光寺はもちろんのこと、總持寺や多くの寺院の運営の基礎となり、今の曹洞宗の発展へと繋がることにもなりました。

八月一日に永光寺住職を

明峰素哲(めいほうそてつ)禅師に譲られ、八日には就任の晋山式(しんさんしき)をされております。

 

 

 

法要

2020.10.18

南澤猊下

本日は、札幌の浄国寺さまでの法要に出席

配役は御詠歌をお唱えする

詠讃師(えいさんし)です。

日光・月光菩薩さまの開眼供養法要と

浄国寺三世さまの三十七回忌を厳修

御導師は、永平寺八十世に就任された南澤道人 猊下

就任後、初の法要にて一人でお唱えをさせていただきました。ありがとうございました。 合掌

曹洞宗

2020.10.15

徹通義介禅師さま

道元禅師さま亡き後

永平寺の二世に懐奘禅師さまが就任され、

義介禅師さまは禅寺視察のため京都や鎌倉へ。また如浄禅師さまの三十三回忌に当たる1259年に宋へ行かれました。現地の諸寺を訪れ伽藍(建物)や修行内容を今一度学ばれ帰国されました。

 

永平寺に戻るや、懐奘禅師さまの後任として三世として住職になられました。

そして伽藍や禅寺の礼儀作法、鳴らし物の作法、読経作法、法要作法など多くの改革をされました。

しかし、諸事情により永平寺の住職から退きます。

その後、加賀の豪族であった冨樫家尚(とがしいえなお)らの帰依を受けまして、東香山 大乘寺の御開山 として就任されます(1293年晋山式)

 

この大乘寺にてお弟子であった瑩山禅師さまを育てあげ、住職を瑩山禅師さまへとゆずられました。

延慶2年(1309年)の9月14日  命日

遺偈(遺言)は

「七顛八倒  九十一年

蘆花、雪を覆い

午後、月円かなり」

を残され91歳で亡くなられました。

曹洞宗

2020.10.14

永平寺三世

今日は大本山永平寺の三世であり

石川県金沢市にある

東香山 大乘寺(とうこうざん だいじょうじ)の御開山を務められた

徹通義介(てっつうぎかい)禅師忌です。

正確には、1309年 (延慶2年)9月14日が御命日

91歳のご生涯でした。

義介禅師は、福井県の生まれであり、13歳で地元の波著寺(はじゃくじ)で達磨宗の懐鑑(えかん)について出家され、比叡山へ上られたのち、達磨宗や天台宗、浄土宗の教えを学んでいます。

1241年深草の興聖寺へ 達磨宗の門下とともに道元さまの下で修行され始めました。

ですが、達磨宗の嗣書(ししょ)や大切な相承物などを懐鑑老師より授けられてもおりました。達磨宗の門下でしたが、道元禅師の下でずっと修行されており、道元さまが京へ病気療養のために向かう際には、病気が回復し永平寺へと戻れたのならば、嗣法を許すともされておりました。(道元禅師さまの受け継いだ証)

義介禅師との別れ際に道元さまは

『但だ汝、老婆心なし。これ又た自然に調うべし。汝、遺忘することなかれ』

と忠告をされたとされます。

努力家である義介禅師には、

他人を思いやる 利他行 が欠けているということです。

京から戻ることが叶わなくなってしまい

道元禅師さまから直接法を受け継がれたのは懐奘禅師さまただ一人となってしまいました。

 

遺偈は

「七顚八倒  九十一年

蘆花は雪に覆われ

午後  月円かなり」

 

石川県金沢市の大乘寺に義介禅師さまの搭(お墓)を西北隅に建て、定光院と称しております。

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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