曹洞宗 常圓山 皎月院

御詠歌

2020.06.30

水鳥

梅花替節として

若干のメロディーを変えた曲

「高祖常陽大師道元禅師第二番御詠歌」

この歌詞も道元禅師さまの詠んだ和歌の一首です。

『水鳥の往(ゆ)くも帰るも跡絶えて

されども道は忘れざりけり』

水鳥が水面を泳いでいます。右へ左へと自由自在に泳いでます。

水の中ですので泳いだ際の波はたちまち跡形もなくなります。

ですが、形跡はなくとも歩むべき道は忘れておりません。

 

 

御詠歌

2020.06.30

梅花

今月最終日です。

全国各地で大雨警報発令しているようです。

八王子も午後から雨となりました。

 

曹洞宗梅花流詠讃歌の「梅花」のタイトル1種4曲(節を少し変えた、替節含む)のなかの

「高祖常陽大師道元禅師第一番御詠歌」について

この曲は、密厳流の『密厳』というタイトルの曲よりメロディをそのままいただきました。ですので、梅花流の「梅花」となりました。

歌詞は道元さまのお言葉です。

荒磯(あらいそ)の 得(え)よせぬ 高岩(たかいわ)

かきもつくべき 法(のり)ならばこそ』

御詠歌ですので、五・七・五・七・七の三十一文字の短歌を詠んでおります。

なおこの歌詞は、『正法御和讃』の七五調の和讃の歌詞にも使われてもおります。

1243年 道元禅師さまは、

京都の南、深草の観音導利院興聖林禅寺(かんのんどうりいんこうしょうりんぜんじ)より

越前(福井県)志比へと移つられ、吉峰寺、大仏寺の建立をされ

1244年9月に大仏寺を永平寺と改められました。

それから1253年にご遷化されるまで、ひたすらに坐禅辨道、正法眼蔵の執筆等をなされました。

ですが、1247年8月より1248年3月までの半年間

一度だけ永平寺を離れ鎌倉へと布教教化に参られました。

その際、鎌倉幕府執権職の北条時頼との問答で

「仏法とはいかなるものか」

に対して詠まれたものが

「荒磯の波も得よせぬ高岩にかきもつくべき法ならばこそ」でした。

大きな荒波さえもよせつけないほど大きな岩にも、掻き付く海苔があるように、

どんなに険しく厳しいなかでも(当時戦乱中)、正しい仏の教えがあるならば

それを求め伝えようとする人々によって、書きつくし、書きのこされていくものである。

そのような思いのお言葉を北条氏にお答えになられた和歌です。

道元禅師さまは、道を求むる心があれば、必ず仏法が伝わるということを教えてくださいました。

 

私たちお唱えするものは、その想いを汲みながらしっかりと歌詞を詠み伝える必要があると言うことを忘れてはならないのです。

季節

2020.06.29

剪定作業

先週から始まりました境内の剪定作業

連日の蒸し暑さの梅雨空

まだまだ半分も終わりませんが

七月盆には間に合わせたいです。

禅のことば

2020.06.24

初めてお盆を迎える(新盆・初盆)

来月や再来月に初めてのお盆をお迎えになる仏さまがいる皆さま方へ

 

 

私の住んでいる地域では7月と8月それぞれの地域にてお盆 を迎えています。

お盆は年に一度、ご先祖さまを家にお迎えする行事です。

年に一度戻ってこられたご先祖さまが、ゆったりできるよう(ご先祖さまは、たーくさんいます)
部屋を用意しましたり、 ご馳走をどうぞ、という私たちの想いで、お仏壇に沢山のお供えを飾ったり、精霊棚(しょうりょうだな)を作られたり、お仏壇と同様以上に沢山のお供え物をこしらえております。

精霊棚ではとくにお馴染みなのが、

ナスやキュウリで作られた牛と馬です。
来る時は 馬に乗って、早く懐かしい我が家へ
帰る時は 牛に土産を積み、ゆっくりおかえりください。ということです。ご先祖さまを想う、昔の人の優しい心が偲ばれますね。

最近は住まいの事情で、家に仏壇がないお宅もあるようですが、
今回は「仏壇の目的が何であるか」を考えてみたいと思います。

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お仏壇は単に、ご先祖さまの位牌をまつるところではありません。
実は、何がまつられていようと「拝む人の心」が その本尊の仏像なのです。
皆、それぞれの心の中には「仏の心」がきっと必ずあります。(今はわからなくとも必ず手を合わせる時が自ずとあります)

お仏壇を拝むこと、
それは 自分の中に潜む「仏心」を拝むことに他なりません。

しかもお仏壇があるのであれば、お仏壇に向かって、お参りすることこそ意味があります。

六波羅蜜の布施、持戒、忍辱、禅定、精進、智慧を行じています。

仏さまに お水やお花を奉るという心は、
お布施(ふせ)=与えるということです。

そして、そのお花は 忍辱(にんにく)=耐え忍ぶことを表したものであり
怒りや腹立ちなどの煩悩を忍耐する、心の象徴とされています。

お線香をあげるのは、精進(しょうじん)=努力すること。
お線香は一度火をつけますと、燃え尽きる最後まで持続します。
私たちも最後まで辛抱強く、努力精進する心が大切です。

お膳を供えるのは、禅定(ぜんじょう)=心の安定。
腹が減っては戦はできぬ。何よりもまず、お腹を満たすことが大事です。

そして暗闇の中(自分の煩悩や迷い)に、ホッと明かりが灯る。
その明かりが 智慧(ちえ)の灯明です。

このように、仏さまに供えるものは一つ一つ自分の心の象徴であり
左右に花と灯明、真ん中にお香、その前にお膳というように位置が決まっています。
この位置が決まっていることが、持戒(じかい)=戒律です。

日常茶飯の仏事にも、深遠なる教えが含まれております。

お仏壇に向かって 合掌礼拝することは「六波羅蜜を行ずる」こと、仏道そのものなわけであり、
いわゆる「修行」を行っているのです。
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私は朝起きて、仏さまに「今日も一日よろしくお願いします」と手を合わせ
夜は「今日も無事に終えることが出来ました。ありがとうございました」と感謝します。

また 畑でできた初物も、お客様から頂いた物も
まずはお仏壇にお供えし、仏さまから召し上がってもらいます。

ちょっとした習慣ですが、これも「立派な信仰の一つ」だと思っています。

毎日、仏さまを拝みつつ
時に ご先祖さまを偲び、時に 自分の中にある仏心に問いかけることが、

ホッと心が落ち着き、心の拠り所となっています。

皎月院副住職は、東京、神奈川、埼玉、千葉、山梨などご要望によりご自宅や墓前でのお参りを承けたまっております。

御詠歌

2020.06.23

梅花

ざっくりですが

 

曹洞宗の詠讃歌は

『梅花流』詠讃歌と言います。

昭和27年(1952年)の高祖常陽大師道元禅師七百回忌大遠忌の記念事業として、

曹洞宗の新たな布教活動方法の一つとして御詠歌の推進が始まりました。

昭和20年に第二次世界大戦終戦後から梅花流が設立される

この頃の時代を考えますと、

戦後ということで社会経済的に極めて厳しく困窮であったかと思います。

その暗い状況下を耐え忍んでいるなか、少しでも明るい兆しや思いを互いに共有することを布教方針に盛り込まれたのではないだろうか?

また、昭和22年曹洞宗大本山永平寺の貫主(住職)熊澤泰禅禅師が

「梅はこれ曲直硬軟槎槎牙牙多種多様にして、しかも凛乎として風致ほ保ち、山間に水村に所を厭わず寒苦を経て清香を発する」と

梅の素晴らしさを述べられております。

これにはもちろん前後があり、坐禅の布教や歴代の祖師方の寒苦の練行をもとにした話もございますが省略してます。

梅の花は、寒い冬をじっと耐え忍び、美しく香りのよい花を春に咲かす姿に重ねられ

戦後の困窮にあえぐ社会情勢にも、辛抱強く耐え抜き、来るべき開花の春を感じさせる明るい布教であったのではないかと思います。

同時期に熊澤禅師の補佐役、永平寺の監院(お寺の監督役)であったのが、静岡県洞慶院のご住職、丹羽佛庵老師でした。

曹洞宗の詠讃歌の流派が、「梅花流」となったのは、佛庵老師の尽力があったからこそなののです。

昭和26年9月8日にサンフランシスコ条約が調印されたことにより連合国が日本からの撤退が決定。

その12月に曹洞宗の詠讃歌が「梅花流」とされた経緯が発表され、それが残されております。

「正法流、芙蓉流、梅花流など、いくつかの名称が挙がったが、両祖さまに関係のある言葉を使用しなくては意味がないということから、高祖さま(道元禅師)の『正法眼蔵』「梅華」の巻および中国に在られた時の大梅山の「梅花の一枝」の霊夢、特に梅の花を好まれたこと、太祖さま(瑩山禅師)の『伝光録』中の「梅華」という言葉に因んで、梅花流の名称を、委員会において決定」

このように、何年もかかりながらもしっかりと土台の基を作られ少しずつ「梅花」という言葉を親しみやすくされた経緯もありました。

「厳しい寒苦の時を経て、清香を放つ」曹洞宗の詠讃歌、梅花流開花の時を迎えたのでした。

 

次回は、梅花流の曲の中の【梅花】

「高祖常陽大師道元禅師第一番御詠歌」を取り上げさせていただきます。

 

 

 

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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