曹洞宗 常圓山 皎月院

旅行

2020.02.24

宗教事情視察研修2日目

今回は宗教事情視察としまして
雪の降る長崎へと行ってきました。
《潜伏キリシタン弾圧の歴史と現在を学ぶ》

2日目は、平戸です。
生月島の博物館にて
江戸時代に日本最大規模を誇った捕鯨の様子を聞き
その捕鯨によって潤っていたこの地に
多くの教会が建てられキリスト宣教師も在住
またポルトガルやオランダの貿易物も出回っていたようです。
次に、行くことは出来ませんが
平戸地域に残る最高の聖地とされている
中江ノ島(なかえのしま)


生月(いきつき)島の東に浮かぶ無人島です。

幕府の禁教令後の1622年、秘かに布教をおこなっていた神父を助けた
生月や平戸の信者達が、この島に送られて処刑されました。
白波立つ岩の上で首を切られたり、
袋に詰められ海に突き落とされたされる殉教者たち。
島に向かう彼らを見送った信徒は、殉教の悲劇を語り伝え、
この島を最高の聖地として信仰の対象としました。

旅行

2020.02.23

宗教事情視察研修2

今回は宗教事情視察としまして
雪の降る長崎へと行ってきました。
《潜伏キリシタン弾圧の歴史と現在を学ぶ》
禁教令によりキリスト教への弾圧が凄いなか
250年もの間、信仰をやめなかった。

二十六聖人記念館の次は
長崎市樫山の曹洞宗天福寺に
こちらのお寺は、
檀家のほとんどかが『潜伏キリシタン』
とされていました。
表向きは神棚や御仏壇がありながらも
納戸や押入れなどや

このように柱の一部を加工し、
自分で造った聖母やメダイを隠し持たれていた。
1630年頃より始まった寺請制度
今の檀家制度と同じですが、
お寺が地域を監視し把握されていたようです。
こちらの天福寺は、潜伏キリシタンとの関係が
とても異色だったとも言える地域でした。
キリスト信仰信者と隠すための方便にすぎなかった寺院との関係が
長い歳月によって、表だけの神仏を信仰するという関係ではなく
神仏への感情や先祖供養をする。明治6年以降のキリスト教信仰の自由が
認められた後も、こちらの地域では
檀信徒をやめカトリック信者として生きるのではなく、
仏教信者として、または、
今まで通り檀信徒としながらも
隠れキリシタンとして生きられたようです。


聖母マリアとして浦上キリシタン信徒が秘かに拝んでいたとされる像
現在は、マリア観音としてご本尊さまの脇にいます。

場所を少し移動し
「オラショ」と呼ばれるキリシタンの祈りの言葉
をお互いに確認したり伝えていたとされる地

岩の上ではなく下のすきまで、隠れながら
オラショを学んでいた地です。


樫山や外海(そとめ)地方のキリシタン聖地(サンジュアン宣教師の墓地)である
枯松神社へ

旅行 その他

2020.02.22

宗教事情視察研修

今回は宗教事情視察としまして
雪の降る長崎へと行ってきました。

《潜伏キリシタン弾圧の歴史と現在を学ぶ》
禁教令によりキリスト教への
厳しく激しい宗教弾圧がおこなわれてきました。

恥ずかしながら、キリスト教への弾圧について
ほとんどその内容や行いは勉強しておりませんでした私。
長崎空港より長崎駅前へと行きますと
【日本二十六聖人記念館】へ

ここは、日本で初めて「殉教」した二十六聖人を顕彰するための
殉教の聖地です。大浦天主堂とは相対してます。
最近では、2019/11/24に教皇フランシスコが訪問され
26人の殉教者へ祈りを捧げられました。
また、日本では唯一の公式巡礼地でもあります。


1550年ごろ
カトリック修道会イエズス会の創設者の一人
フランシスコ・ザビエル神父が鹿児島へ上陸し、
長崎の平戸からキリスト教を伝え、布教され始めた。
織田信長が本能寺の変にて滅した後
(皎月院の開創は1576年です。6年後450年)
豊臣秀吉もキリスト教へは好意的でした。
しかし、日本国内を統一していた秀吉は
1596年スペイン船サン・フェリペ号が
スペインが占領していたフィリピンからメキシコへ向かう途中に
土佐へ漂着。
この時「スペインは世界最強の国であり、宣教師を派遣し現地人をキリスト教へと改宗させ、占領する」などの話をされた
このことに秀吉は激怒し
宣教師を処刑するようにと命じられた。
京都や各地で捕まった修道士や信者24人を
京都から長崎へと
耳をそいだ後、キリスト教は異端だと
見せしめながら真冬に歩かさせた。
途中二人が加わり、1597年2月5日
長崎で十字架にかけられ処刑された。
その後半年間そのままだったという。
その殉教の地が、記念碑のある西坂の丘(公園)です。


30年程前に見つかった聖母マリア

見た目は弥勒菩薩だが聖母マリアとして祈られていた

禅のことば

2020.02.15

涅槃会

南無釈迦牟尼佛

涅槃図を見ますと、
お釈迦さまが亡くなられるときの
情景を描いたものですが、
お釈迦さまは、旅の途中で亡くなられました。
ですが、
出家をするきっかけとなった
無常や四苦八苦の四苦である
生・老・病・死。
お釈迦様は、肉体の衰えの老いも
痛みや苦しみの病も経験され
この世は無常であることを
多くのお弟子に対して自らの身をもって入滅。
人はこのように満足し、笑顔で安らかに
死んでいけるものだと、お示しになられました。

南無釈迦牟尼佛

禅のことば

2020.02.14

涅槃図より

明日2月15日は
お釈迦さまの御命日です。

お釈迦さまが最期に召し上がったものは
茸料理が1番有力視されております。
この食事をお釈迦さまへと供養されたのが
“純陀”(じゅんだ)という鍛治工の子です。
お釈迦さまの御説法を聞き、発心して
心尽くしの料理を布施されました。
しかし、その料理が原因で
お釈迦さまは体調を崩され涅槃へといたらしめました。

ですが、お釈迦さまは
成道の時に初めて供養した者も、
滅する前最期に供養したものも、
等しくその功徳は変わらないものであるとしております。

お釈迦さまの常に側にいて
多くの御説法を聞いていた
多聞第一と言われている
阿難(あなん)尊者
お釈迦さまの父上の弟の子供であり、
お釈迦さまとは従兄弟です。
阿難は、お釈迦さまの涅槃により
正気をなくし倒れこんで横たわっております。

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

カテゴリー

最新の投稿

アーカイブ