2020.09.28
道元禅師さまの詠まれた和歌の一首で
「無常」と題されております。
梅花流詠讃歌では「月影」という曲名となっております。
『世の中は 何にたとえん 水鳥の
嘴振(はしふ)る露に 宿る月影』
この世の中は無常である。何一つとして一定にとどまること、とどまるものは何もない。
この世の中を何にたとえよう。
たとえば、水鳥がくちばしを振るった時に飛び散るしずくの一つ一つに宿る月の光のようなものなのです。
水鳥がくちばしを振るうことによって、一瞬でも宿っていた月の光の生滅(くちばしに生まれたしずくに宿った月の光)。
この生滅が無常のはかなさにをあらわされております。
道元禅師さまのご生涯では、多くの死別を経験されております。
幼少期では、御両親。臨済禅を学び、共に中国の宋へと行かれた建仁寺の明全和尚さま。
そして生涯の本師である如浄禅師さま。
また多くのお弟子の中で最も期待しておりました僧海の夭折(27歳のようです)
この「無常」を詠まれた和歌は、
大切な人を看取ってこられた道元禅師さまの深い感慨がにじまれております。
2020.09.27
9月29日は両祖忌です。
道元禅師さまがどのような病気にかかられていたのかはわかりまさんが、
最期までお側に寄り添っていられましたお弟子の懐弉さまによれば、
道元さまの着ていた衣までにも血がシミ出ていたようです。
それほどの病に侵されていられました。
その衣ですが、懐弉さまは血をふき取り生地を洗ったのち
継ぎ合わせて日々使用するお袈裟にされたようです。
道元さまのお弟子の前での最後の講義では、
お釈迦さまの最期の教えとしての
『仏遺教経』でした。
このお経は、お釈迦さまが亡くなられる前にお弟子に語った言葉を経典にまとめたものです。
『仏遺教経』には八つの教えが記されております。
その教えを『正法眼蔵八大人覚(しょうぼうげんぞうはちだいにんがく)』にまとめられております。
その最後の締めくくりには
「仏法に出逢うことはじつにむずかしい。しかし幸いにも人間として生まれ、さらには釈迦より後の時代に生まれることが出来たことにより、釈迦の教えに出会えた。これこそ宿世の善根というものである。こうして出会えた以上は何度でも生まれ変わり、繰り返しこの教えを学び、いつか必ず無上の悟りに達して、世の人々のためにこの教えを伝えよう。お釈迦さまと同じように」
お釈迦さまは幾度となく皆を救う仏陀となるためにこの世に生まれ続けられたのです。道元禅師さまも生がここで終わるのではなく、これからもお釈迦さまを慕い、さらにはこれからも仏道を歩みつづける気持ちがつづられております。
『八大人覚』は、お釈迦さまの最期の教えであり、道元禅師さまの最期の教えでもあります。
南無高祖承陽大師 道元禅師
南無太祖常済大師 瑩山禅師
2020.09.16
道元禅師さまが読んだ和歌です。
『草の葉に かどでせる身の 木部山(きのめやま)
雲にをかある 心地こそすれ』
(木の芽峠 越前と若狭の境界の峠です)
この和歌は、
道元禅師さまが体調を崩され10ヵ月ほどが過ぎた頃、
療養するために京都へ向かうことを決められた頃かと思います。
タイトルにもつけました
「草の葉」
これは、あの世のことではないでしょうか?
自分の身体のことは、自分が良く解っているとするならば、
あの世への旅立ちのように一歩一歩
木の芽峠を登られていたのかもしれません。
今月29日が御命日です。(陰暦では、8月28日)
1253年示寂 世寿54歳
2020.09.04
道元禅師さまは、詩や和歌など多くの文字を残されております。それは、父親かもしれない久我通具(くがみちとも)が、和歌どころの寄人であり、『新古今和歌集』の編集などをされていた人であった。なので幼少より自然と和歌を親しむ環境だったこと、もちろん才能も受け継がれていたのではないだろうか。と思われます。
『山ふかみ峯にも谷も声立て
けふも暮れぬと日ぐらしぞ鳴』
朝陽が顔を出す前より坐禅をされ
今日も充実された修行の夕刻。
坐禅中に鳴く蜩(ひぐらしのセミ)の声
声高く蜩の合唱が永平寺に響き渡っております。
一日が過ぎていく、それを惜しむかのように鳴いております。声が静まり返ったあとには、永平寺を取ります自然と共に夜を過ごしていく。
2020.09.01
九月となりました。
私たちは日頃からお線香を香炉へ立てる時には、必ず前後左右に曲がっていないか?特に左右には注意をはらい、さらには香炉の中央へ立てるように気をつけています。
ですが、自分自身の心の状況や状態でそれがとても難しいこともあります。心静かに1つの事に集中できれば良いのですが、心が乱れているとお線香もゆがみがちです。
道元禅師さまのお言葉にも
『両手に香をささげて香爐(こうろ)にたつるなり、すぐにたつべし、かたぶかしむることなかれ。』
と
大切であることが伺えます。
お線香が例え真っ直ぐに立てたとしても、香炉や燭台など周りのもの全てが真っ直ぐでないと気持ちが悪くなってしまいます。こういった具体的なかたちを整える事によってこそ、生活のありようが正されるのだと祖父や師匠、そして永平寺での修行により教わりました。
一番手前のお焼香をする香炉が曲がってしまってます。これが特に気になってしまいます。
真っ直ぐにお線香を立てる。真っ直ぐに坐る。坐禅も心身も真っ直ぐにする大切をこの九月、お彼岸月ですので共に修行していきましょう。
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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