曹洞宗 常圓山 皎月院

皎月院TOP > 仏さま

仏さま

2021.10.05

達磨忌

本日10月5日は達磨さまの御命日です。

赤いだるまや「だるまさんが転んだ」でも馴染みのダルマです。

インドから初めて中国へと禅をお伝えになられました。

震旦初祖(中国禅門の初祖)円覚大師(おくりな)

菩提達磨大和尚

南天竺(インド)の香至国の第三王子としてお生まれになられた菩提多羅(達磨さま)

(兄ふたりは、月浄多羅と功徳多羅)

生まれつきそのお姿は立派であり、更には徳を持ちその才で国をまとめられることができる、それに相応しい王にもなれたとされるが、

お釈迦さまより正法を受け継がれた摩訶迦葉尊者を第一とし、二十七代般若多羅尊者のもと出家され、大法を授かり、険しい道法をいとわず苦難も乗り越え

『滅後六十七載を待って震旦(中国)にゆくべきこと』と

本師の言いつけ通り中国へと渡り正伝の仏法を慧可大師に嗣つがれた

 

お経 仏さま

2021.08.03

仏教の伝播

お釈迦さまが亡くなられた後に

多くのお弟子たちによりお釈迦さまの教えを語りあい

その教えを「経」としてまとめ

修行のために規則や心構えなどをまとめたものを「律」としました。

それらの教えを

地域や時代によってそぐわなくなり、変えるべきかそのままで行くかで対立が起きました。戒律の問題だけでなく、思想や解釈によってお釈迦さまが亡くならてから400〜500年の間に20派にも分かれたそうです。各派によりまとめられていた「経」と「律」を研究され「論」としてまとめられました。この3つを合わせ「三蔵」と言います。

菩薩行とは、多くの人がともに助け合いながら修行され悟りを目指すことです。

その教えである経典には

「般若経」「法華経」「華厳経」「阿弥陀経」「無量寿経」などがあります。それらの経典には身近な六波羅蜜の悟りをひらくための6つの修行徳目や、慈悲などの教えも説かれております。

そしてついに密教が登場され真言と言った呪文である陀羅尼が唱えられていきます。

 

紀元前2世紀頃

インドと中国がシルクロードで交通が開かれ交流が盛んになり仏教も伝来します。

西遊記でも有名な三蔵法師は

唐の時代に活躍された玄奘です。

玄奘は、インドの言葉であるサンスクリット語で書かれている経典を最も多く持ち帰り翻訳された方です。その1つである般若心経は今でも私たちは読経や書写しておりますね

道元さまのお言葉 仏さま

2021.07.13

お盆の入り

本日7月13日お盆の入りです。

お盆の風習を守りながら短い間かもしれませんが

仏さまをおもてなししましょう。

今まで生きてこられた方々がなお亡くなりになられると仏さまとなるという解釈は一般的だと思います。命と言う姿や形こそ存在しないのかもしれませんが、仏さまは仏さまとして仏の世界にて存在し生きていると思います。それは、道元禅師さまが最期に残された遺偈にて

『渾身無覓 渾身(こんしん)覓(もと)むる無く

活陥黄泉 活きながら黄泉に陥(お)つ』

このように

死んであの世に行くのではなく、活きながら黄泉に行くとされております。ですので、仏さまとして黄泉の世界で今なお私たちを導く仏道修行、坐禅をされ続けていられることと思います。

その報恩として私たちも教えに従いながら、無駄な日は無いのです。日々の研鑚、仏道を精進して行かなければならないと再確認する私のお盆入りとなりました。

仏さま

2021.07.04

韋駄天

韋駄天 (いだてん)

(住職が彫られた韋駄天)

  曹洞宗では、建物や厨房を守る護法神として玄関近くにまつられていることが多いです。

韋駄天という言葉の由来は、バラモン教の神の名から来ています。韋駄天はヒンドゥー教のシヴァ神の二男で、軍神の中でも俊足をほこり、仏法に取り入れられてからは四天王である増長天に従う八代将軍の一角として、仏法や寺院を護る守護神になりました。

韋駄天の説話の中に

お釈迦さまが亡くなられたとき、ご遺骨の一部(歯)を盗んで須弥山に逃げた悪魔を走って追いかけ見事に取り戻したというのです。

ここから足の速い人を韋駄天、早い走り方のことを韋駄天走りというようになりました。

また、韋駄天がお釈迦さまのために方々を駆け巡って食物を集めたとの逸話に由来して、「御馳走(ごちそう)」という言葉ができたともいわれています

仏さま

2021.05.27

十大弟子

智慧第一 舎利弗(しゃりほつ)シャーリプトラ。バラモン教の修行信者からお釈迦さまへ帰依された。

神通第一 目蓮(もくれん)舎利弗と仲が良く、一緒にお釈迦さまの弟子となり、指導的役割を担われていた。

頭陀第一 摩訶迦葉(まかかしょう) バラモン教の修行中、菩提樹にて坐禅をされているお釈迦さまお会いし、弟子となる。お釈迦さまの教えをまとめた仏典編集の長を務められたとされる。

解空第一 須菩提(しゅぼだい) 祇園精舎を寄進したスダッタ長者の甥とされ、祇園精舎でのお釈迦さまの説法を聞いて出家された。

説法第一 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)プールナ。お釈迦さまと同年齢で、苦行を通じてバラモン教学の修行をされていたが、お釈迦さまが成道され仏陀となられたことを聞き、サールナートで弟子となられた。

論議第一 摩訶迦旃延(まかかせんねん)非常に聡明であり、難題をお釈迦さまに問い弟子となられ、西インドへお釈迦さまの教えへを布教される。

天眼第一 阿那律(あなりつ)アヌルダ。シャカ族である。お釈迦さまが説法されている最中に眠ってしまい、その反省から不眠不休を貫き、その代償で失明したが、天眼を得たとされる。

持律第一 優波離(うばり)シャカ族のカピラ城の理髪店。カーストの制度で下層ではあったが、立場の上の者より先に出家し平等の象徴となられる。

密行第一 羅睺羅(らごら)ラーフラと言いお釈迦さまの息子である。始めは慢心ではあったが、修行により十大弟子の一人となる。

多聞第一 阿難(あなん)アーナンダ 提婆達多(だいばだった)の兄弟とされる。お釈迦さまの側近で25年間務め身の回りの世話をされ、誰よりもお釈迦さまの説法を聞く。

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

カテゴリー

最新の投稿

アーカイブ