2024.01.26
本日陽暦の1月26日は
道元禅師さまの誕生日です(京都生まれ)
正治2年(1200年)1月2日(陰暦)です
父親は、村上源氏の流れをくむ
久我通具(みちとも)なのか通親(みちちか)なのか、母親も不詳であります
8歳の頃に最愛の母親を亡くされます
亡き母親の勧めにより仏教に親しまれていきます
13歳の春に出家の志しを持たれ
比叡山の千光房へ、翌年に
天台座主公円僧上(こうえんそうじょう)について
剃髪、得度をされ出家されました
それから18歳までの6年間比叡山にて修行される
命日
本日私の叔父である
一乘弘文和尚さまの御命日でもありました
平成8年1月26日 36歳
川崎市麻生区の戒翁寺の副住職だったのですが
癌の病には勝てなかったようです
南無南無
2023.03.28
毎年お手伝いに行ってます
神澤不動尊(かんざわふどうそん)
相模原市大島神沢
不動明王は
右手に智剣、利剣を持ち左手に羂索を持っています
その誓願は
「我が身を見るものは菩提心を起こし、我が名を聞くものは悪を断ち善を修し、我が説を聞くものは大智慧を得、我が心を知るものは即身に成仏せん」とされてます
怒っている顔は私たちの心の迷いや煩悩を取り除き、すべての人々を救うため
勇ましい顔立ちをされています
大きな慈悲の心を持った仏さまです
背中の火炎は
あらゆる煩悩を災難を焼き尽くす火焰でもあります
不動明王が立っている岩の地を盤石座(ばんじゃくざ)といい、不動を象徴した「揺るぎない」心を表しています
目黒の不動尊や成田山新勝寺も有名ですね
2023.03.16
今年は東日本大震災から12年
13回忌法要が各地で厳修されました
私も微力ながら
麻生区早野の戒翁寺にて
1人読経させて頂きました
過去の炊出しなどのボランティア活動が先日のようでした
改めて東日本大震災で亡くなられた
物故者、また
まだ未明な方々へ哀悼の意を表します
南無有縁無縁三界萬霊
合掌
2023.02.10
お釈迦さま35歳の12月8日に成道されてから
45年間多くのお弟子に御説法され80歳を迎えられた
最後に留まっていたとされる霊鷲山を後にし
ガンジス川を渡り向かった先は
生まれ故郷のルンビニー
だが、老いと衰弱、そして病を患ったお釈迦さまは近くの村へ
そこで鍛冶屋の純陀(じゅんだ)という人物から食事の供養を受けました
それにより腹痛と下痢に侵されさらに死期がせまることとなります
(その食事はキノコとも言われております)
旅をさらに続け進まれましたが
クシナーラ近くの河のほとりに着かれると
従兄弟でもあった十大弟子多聞第一の阿難に
「私のために二本の並んだ沙羅の樹の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい」と
床についたお釈迦さまはお弟子さんたちへ
「皆の修行僧たちに告げよう
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい』と」
お釈迦さまは最後の説法として
自らの死をとおして
この世の中は皆無常である
成道し悟られた私(釈尊)でさえ死を迎えるのだと
お釈迦さまはこのようにも教えを遺されてます
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」
お釈迦さまが最後に私たちへお伝え下さいました
これを日本では「自燈明、法燈明」の教えとしています
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします
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