曹洞宗 常圓山 皎月院

禅のことば 道元さまのお言葉

2022.01.31

坐禅2

1月ラストですね

 

 

道元禅師さまが初めて書き遺された

『普勧坐禅儀』(ふかんざぜんぎ)

すべての皆に勧める坐禅の教えです

『原(たず)ぬるに夫(そ)れ、道本円通(えんづう)、争(いかで)か修証を仮らん。

宗乗自在(しゅうじょうじざい)、何ぞ功夫(くふう)を費やさん。

況んや、全体迥かに塵埃(じんない)を出ず、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。

大都(おおよそ)、当処を離れず

豈修行の脚頭を用うる者ならんや。

然れども、毫釐(ごうり)も差あれば、天地懸(はるか)に隔たり、

違順纔(いじゅんわず)かに起れば紛然(ふんねん)として心を失す。』

【仏道というものは本来私たちに円満にそなわっているのであるから、敢えて修行して悟りを得るなどというよなことは必要ないのです。

あれこれいろいろと功夫を費やすこともいらないのです。

また、振り払うべき塵がなければ、振りはらうほこりもありません。

すでに悟りは行住坐臥の生活から離れているのであるから、

あえてわざわざ修行をする必要はないのであります。

本来そうではありますが、少しでも心得を間違ってしまいますと、

天と地ほどに隔たってしまいます。

そこに取捨選択、思慮分別の心が起こると、

たちまちに混乱してしまい本心を失ってしまいます】

道元禅師さまは、普勧坐禅儀の冒頭で私たちに坐禅の心得の間違いを警鐘を鳴らしております

正しい仏法における坐禅というのは

坐禅における「功夫を費やす」であったり

好き嫌いなどを立てて気に入るものだけに執着してしまい

気に入らないものを排除してしまうような傾向があります

そして、私たちには「道は本来円満にそなわつている」という思いになり

「修行」や「坐禅」はしなくても良いのであると

履き違えてしまうと指摘されております

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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