2021.04.04
『他は是れ吾にあらず』
(たはこれわれにあらず)
自己中心的な意味の言葉ではなく
他人は他人という意味でもなく
自分のための人生なのであるから自分で自ずからやらなければならないという意味であります。
こちらは道元禅師さまが、
中国の宋、天童山景徳寺にいた時の事です。
ある日の日差しが強い日、典座(修行僧の調理を担当する部署)老師がキノコを並べ干している様子を見た道元禅師さまは、「炎天下にご自分でなさらずとも誰か若い修行僧にやらせてはいかがですか」と申されたそうです。ですが老師は、
「他是不吾」との返答後さらに
「他人がしたのでは、私がしたことにならない。椎茸を干すのも大切な作務であり修行なのである。今やらなければ、誰がやるのであろうか。」
今をやるべきことや、やらなければならない事は、自分が一番よく知っているはずであり、やると決めたことは最後までやりきることが大切なことであります。
助言や忠告は大変ありがたいことではありますが、周りからの言葉に左右されず、いま自分ができることをやり通すことも時にはとても大切であり必要な事であるのです。
清水
御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌
私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。
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