曹洞宗 常圓山 皎月院

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  • お釈迦さま

    お釈迦さまは、詳しくは釈迦牟尼(しゃかむに、釈迦族出身の聖者)、世尊(せそん、世に勝れ尊敬される人)等と呼ばれ、釈尊(しゃくそん)と略称されます。
    今から約2500年前、ネパールのルンビニに、シャカ族の王子としてお生まれになり、姓をゴータマ、名をシッダールタと申されました。王子として裕福な暮らしに恵まれたものの、深く人生の問題に苦悩され、29歳で出家されました。6年もの厳しい修行の後、ブッダガヤの地にて35歳でお悟りを開かれ(成道)、仏陀(ブッダ、覚者)となられました。縁起説や諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦などに代表される教えを説かれました。以後、クシナガラの地で入滅されるまでの45年間、弟子の育成とこの世の真理を伝える旅をお続けになりました。
    曹洞宗のご本尊は、このお釈迦さまであります。お釈迦さまが成道され、その教えが説かれ、お弟子さま達により代々連綿と正しく伝えられてきたことによって、現在の私達も仏法に巡り逢うことが出来ているのです。
    私たちは、このご本尊であるお釈迦さまを礼拝(らいはい)すると共に、仏法僧の三宝(さんぽう)に帰依(きえ)し、その教えを拠り所に正しく精進して生きていくことによって、お釈迦さまの慈悲(じひ)と智慧(ちえ)、そして歓喜を、私達の身と心の上に体現していくことが出来るのです。

  • 達磨大師
    初めてインドから中国に禅の教えを伝えられた方で、お釈迦様から数えて28代目のお祖師さま、中国禅宗の初祖とされるお方です。「震旦(中国のこと)初祖」または「円覚大師」ともお呼びし、宗門寺院では本堂の向かって左の段にまつられています。

    震旦初祖 円覚大師菩提達磨大和尚(しんたんしょそ えんがくだいしぼだいだるまだいおしょう)と称します。

    「碧眼の胡僧(青い目の異国の僧)」とも表現されますが、伝記に関しては諸説ございます。禅宗の伝統的な見解では、梁の普通8年(527年)に南海より広州(広東省)に上陸し、梁の都、建康(南京)に来て、武帝(蕭衍)と問答を交わし、帝との機縁がかなわず北に渡り、崇山少林寺に入って、面壁九年(九年間、壁に面して坐禅すること)されたことから、「壁観婆羅門」と称されました。

    当時の皇帝であった武帝(ぶてい)との禅問答が有名です。武帝は「朕(ちん)は多くの寺院を建て、写経をし、仏教を保護してきた。どういう功徳があるのか」と問います。達磨は「無功徳(むくどく)」と答えます。

    この問答は、「達磨廓然の話」として有名でありますが、経論の文字にとらわれず自己の本来の面目に徹することを目指す、達磨大師の禅思想をよく示しております。

    だるまの置物が赤いのは、達磨さまは、緋(ひ)という赤い衣を頭からすっぽりかぶり坐禅をされたことに由来します。

    達磨忌 10月5日が御命日です。

    達磨大師御詠歌(廓然)

    伝えましうけつぎ来たり有難や

    五葉に開く道のひとすじ

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  • 曹洞宗
    鎌倉時代に、(1200-1253)により開宗されました。道元禅師は24歳で中国にわたり、の禅師より法を受け継ぎ帰国されます。越前国(福井県)に永平寺を開き、54歳でされます。その間、など多くの著作を残され、(ひたすらに坐禅をする)の教えを説かれました。
    また曹洞宗には、本山が2つあります。ひとつは大本山永平寺(福井県吉田郡永平寺町)であり、ひとつは大本山總持寺(横浜市鶴見区鶴見)です。これを両大本山といいます。両大本山は曹洞宗寺院の根本であり、信仰の源であります。

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  • 道元禅師

    道元禅師は1200年、京都にお生まれになり、14歳のときに比叡山(ひえいざん)にて得度(とくど)されました。24歳で仏道を求め宋に渡ると如浄(にょじょう)禅師のもとで修行に励まれ、「正伝の仏法」を相続されました。
    28歳で帰国した後、正しい坐禅の作法と教えをすすめようと『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著され、34歳のときに京都の宇治に興聖寺(こうしょうじ)を建立し、最初の僧堂を開いて修行者の養成と在俗の人びとへの教化を始められました。また、仏法の境地と実践を伝えるべく『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の執筆を続けられ、45歳のときに越前に大仏寺(後に永平寺と改名)を建立されました。
    その後も道元禅師は修行の生活を送りながら弟子の育成につとめられ、1253年、54歳でそのご生涯を閉じられました。

  • 永平寺

    永平寺仏殿
    【所在地】〒910-1228 福井県吉田郡永平寺町志比

    大本山永平寺は1244年、道元禅師が45歳のとき、波多野義重(はたのよししげ)公の願いによって、越前国(福井県)に大仏寺(だいぶつじ)を建立し、2年後に永平寺と改められたことに始まります。深山幽谷の地にたたずむ山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、僧堂(そうどう)、庫院(くいん)、浴司(よくす)、東司(とうす) の七堂伽藍(しちどうがらん)では、雲水が道元禅師により定められた厳しい作法に従って禅の修行を営んでいます。

  • 瑩山禅師

    瑩山禅師は1264年(1268年の説もある)、越前にお生まれになり、8歳で永平寺に入り三世義介(ぎかい)禅師のもとで修行を始められました。
    13歳で二世懐奘(えじょう)禅師について正式に僧となると、瑩山紹瑾(じょうきん)と名を改め、19歳になると諸国行脚(あんぎゃ)の志をたて、求道(くどう)生活に精進されました。
    そして35歳のとき、義介禅師の後を継いで加賀国(石川県)の大乗寺住職となり、2年後に『伝光録(でんこうろく)』をお示しになりました。その門下には優れた人材が集まるようになり、曹洞宗が発展する基礎が築かれました。また、50歳で能登に永光寺(ようこうじ)を開き、そこで『坐禅用心記(ざぜんようじんき)』を撰述されたといわれています。
    その後、58歳のとき諸嶽寺を寄進されると禅院に改め總持寺と名づけました。1324年、61歳のとき總持寺の住職を峨山(がさん)禅師に譲られ、翌年62歳でご生涯を閉じられました。

  • 大本山總持寺

    總持寺仏殿
    【所在地】〒230-0063 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1

    大本山總持寺は1321年、瑩山禅師が58歳のとき、能登国(石川県)の諸嶽寺を定賢律師より譲られ、これを禅院に改めて諸嶽山總持寺と名づけたことに始まります。
    1898年に七堂伽藍を焼失し、1907年に能登から横浜市鶴見へ移りました。なお、旧地は總持寺祖院(そいん)として再建され、地域の信仰を集めて今日にいたっています。

  • 戒名(かいみょう)

    戒名とは仏教徒して、修行の規律(戒律かいりつ)を守ると決心した信者に与えられる名前のことです。お釈迦さまの教えを信仰して生きていく人に授けられる「仏弟子の証し」です。なので、生前に戒律を授さずける戒師(かいし)様から授戒(じゅかい)〈戒律を授ける儀式〉により授与していただきます。最近では、死後に葬儀の中で授けることが多くなりました。
    日本でおこなわれた最初の授戒は、天平勝宝6年(756)に、中国から渡来した鑑真和上によるもので、東大寺大仏殿にて、聖武天皇をはじめ440名に戒律を授けたとされています。

     

  • 観音さま
    正しくは観世音菩薩・観自在菩薩といい、救いを求める人々に応じてさまざまなすがたをあらわし、大きな慈悲の手を差し伸べ、人々を救済することを本願とする菩薩さまです。衆生にさとりの法(おしえ)を説く如来に対して現世と来世の二世にわたって利益を施し、衆生を救済してくださる存在です。そして、いくつもの時代を経るにしたがい、皆の願いに応じて六観音、七観音(聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、不空羂索観音、准胝観音)が現れ、さらには三十三観音まで出現するに至ります。 しかし、ご利益があるといっても自己の正修行と観音さまの大慈悲とが一体となった時、初めて感応道交され、この世は仏さまの慈愛(じあい)につつまれたお浄土となることでしょう。

    エピソードとして、瑩山禅師のお母さま懐観大師は、長年子宝に恵まれませんでした。お母さまは、一日に三百三十三回礼拝し「観音経」を読むこと三十三巻に及び、ついにはその功徳あって「観音さまの申し子」と言われる瑩山禅師を授かったといいます。

     

    観世音菩薩御詠歌(慈光)


    たのもしなあまねき法の光には

    人の心のやみものこらじ

    観世音菩薩第二番御詠歌(浄光)

    見わたせば功徳の海によせかえす

    ひとつひとつの波のきらめき

    http://www.sotozen-net.or.jp/baika
  • 御詠歌
    梅花流詠讃歌(鈴鉦を用いてお唱えし、曹洞宗の詠讃歌)

    曹洞宗の詠讃歌は御詠歌(ごえいか)と呼ばれており、御詠歌とは仏讃歌でございます。お釈迦さま、両祖さま(永平寺を開かれました道元禅師さま、総持寺を開かれました瑩山禅師さま)を讃え、またはご先祖さまを敬うこころを唱え致します。
    御詠歌には、「詠歌」五・七・五・七・七の和歌となっているものと、「和讃」七・五調の詞に曲をつけたものとがあります。 節は基本4拍子で、長調と短調の曲があります。
    「梅花流」の梅花とは、両祖さまが、ともに教えの中で梅の花を好まれていたことに因んで考えられたものであります。
    その歌は日本の風土と暮らしの中で生まれたメロディーです。やさしく穏やかな曲で、唱えやすく安らかなこころが生まれ、新たな感動がわいてきます。
    私自身(皎月院副住職)も御詠歌を始めてから多くの事を学ばせて頂いております。

    興味のある方はぜひ私、もしくは曹洞宗の公式サイト・曹洞禅ネットをご覧ください。
    参照 http://www.sotozen-net.or.jp/baika
  • 地蔵菩薩

    地蔵菩薩は、別に地蔵願王尊とも呼ばれ、お釈迦さまの入滅から、56億7千万年後に弥勒菩薩さまが成道するまでの間、私たちを苦しみから救ってくださるようにお釈迦さまから付託された菩薩さまです。時と相手に自在に応じて、無数の分身に変化して老若男女や年齢を問わず人々を済度され、最もひろく親しまれている菩薩さまでしょう。 六体の地蔵さん、六地蔵は私たちが日頃の暮らしの中でさまざまに迷う心の世界を六つに分け「六道」と見なします。

    1、地獄-間断なく苦しみを受ける

    2、餓鬼-執着を盛んにして過ぎたる行いをする

    3、畜生-学習や反省をしないで愚かなことを繰り返す

    4、修羅-わが利をもとめて人とあらそう

    5、人間-人への思いやりを忘れている

    6、天上-自由に楽しみを享受する

    この六道を行ったり来たりしているのが私たちの現実の姿かもしれません。繰り返し繰り返し六道に迷うで「六道輪廻」ともいいますが、 私たちが仏道を歩む決心や精進、信仰の歩みをお地蔵さまは静かに見守ってくださっています。

    お地蔵さまの真言(しんごん)は、「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」です。(お地蔵さまに帰依します、幸あれ)

    「オン」は「帰命、供養」などの意味があり、神聖な語として、インドでは宗教的なことばの初めにおかれてきた。「カ」とはお地蔵様の事である。「カカカ」は「お地蔵さん、お地蔵さん、お地蔵さん。」と一生けん命お地蔵さんを呼ぶのである。「ビサンマエイ」とは、「類いまれな尊いお方」というようなお地蔵さんへの賛歓の気持を表している。「ソワカ」は神聖なことばの最後につけて、その言葉の完成成就を願う気持を表す。

    お地蔵さまを見かけたら、立ち止まり手を合わせ、この真言をお唱えしお参りしてください。 24日が縁日です。7.8月には地蔵盆がおこなわれます。

    地蔵菩薩御詠歌(慈念)

    たらちねのみ親のもとにいる児らは

    御名を唱うる声ばかりなり

    http://www.sotozen-net.or.jp/baika

  • 中陰
    中陰(ちゅういん)とは、人が亡くなってから次の生に生まれ変わるまでの期間をいいます。仏教では一般的にこの期間を四十九日間としています。
    私たちが葬儀を終えますと、初七日から四十九日まで、七日毎の法要を営みます。この法要を中陰供養といいます。これは死者の冥福を祈り、読経して故人が、次の生にまた人間世界に生まれ変わることを願うものです。
    道元禅師さまは、もし自分自身の命がこの世から亡くなるときが来たならば、南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧と唱え続けなさいといわれます。この偈は、仏法僧の三宝を信じ帰依しますという意味です。そしてついに命がつきて中陰の世界をさまよっているときにも、この偈を唱え続けなさいといわれます。そうすると、次の生にもまた仏さまとのご縁のある世界に、生まれてくることができるのだといわれます。
  • お彼岸
    年2回、春分の日、秋分の日を中心に、前後3日間ずつをあわせて1週間をお彼岸の期間といいます。
    お彼岸とは、パーラミター(波羅蜜多)という古代インドのサンスクリット語を漢訳した「到彼岸」(とうひがん)を略したものです。いろいろな欲望や迷い悩みの多い現実世界を「此岸」(しがん)といい、苦しみのない理想の世界を「彼岸」といいます。また到彼岸とは、理想の彼の岸に到るという意味です。
    理想のさとりの世界へわたるには、とらわれない心で、偏らない生き方「中道」をつとめていくことが大切であるといわれ、「右にも左にも偏らない心のバランスがとれた生き方」こそが、ゆったりと、いそがず、あわてず、一度きりの人生をゆっくりと歩いて、人間らしく生きていく ということです。
    お彼岸は、ちょうど昼と夜の長さが同じで、暑からず寒からずという日本の季節感と仏教の中道の教えが自然なかたちでとけこんだ行事なのです。
  • 弥勒菩薩

    未来仏とも言われております。お釈迦が入滅してから56億7千万年後に人間世界に生まれ、覚りを開いて衆生を救うため、現在は兜卒天(とそつてん)で静かに瞑想する姿の半跏思惟像(はんかしゆいぞう)の弥勒菩薩を皎月院は永代供養塔の仏さまとしました。
    仏滅から500年の間は、釈迦の教えがあり、それにしたがい修行し悟りを開くことができるとされます。この時代を正法といいます。さらに仏滅後、500年から1000年の間は、教えによって修行する者はいますが、悟りを開く者がいなくなる僧法の時代です。そして、その後は釈迦の教えだけはあっても、修行する者も悟りを開く者もいなくなる末法の時代となります。
    弥勒菩薩は、このような暗黒の時代を救うために現れる未来の仏さまです。また弥勒菩薩の出現までの永い間、すべての人々を済度なさろうとするのが地蔵菩薩です。

    弥勒菩薩さまはお釈迦さまに代わってこの世のすべての悩み苦しみを救いくださる慈悲の仏さまです。人間として正しい生き方を心がけ十善戒を実践することで身も心も清浄になり安心を授けられ悟りへと導いて下さいます。

     

    十善戒

    ・三身業(不殺生・不偸盗・不邪淫)
    ・四口業(不妄語・不綺語・不悪口・不両舌)
    ・三意業(不貪欲・不瞋恚・不邪見)

     

    釈迦の月は隠れにき  慈氏の朝日はまだ遥かなり

     

    真言 おん まいたれいや そわか (弥勒菩薩さまに帰依します。すべてに幸あれ)