曹洞宗 常圓山 皎月院

皎月院TOP > 皎月院副住職 亨龍日記

一歩の会

2020.02.13

祝賀会

昨日は
曹洞宗一歩の会発足50周年祝賀会
でした。
現会員21名
卒業された方々が
23名も出席いただきました。

45周年の時には
青年会の経本を作成
今回の50周年では、
記念誌を作成しました。

清興では、
八王子芸者さんによる
踊りと歌を披露していただきました。

これにて50周年記念事業
圓成となりました。

禅のことば

2020.02.12

涅槃図より

横たわっております
お釈迦さまの周囲に8本の
沙羅双樹。
沙羅は仏の自在神力を示すのです。
八本の沙羅の樹のうち、
四本はお釈迦さまの御説法が終わると
たちまち枯れてしまい
他の四本は
青々と栄えました。
これを”四枯四栄”(しこしえい)と言います。
お釈迦さまの色身(身体)は涅槃に入りたまえども(四枯)
説かれし仏法は後世に残りて栄える(四栄)

お通夜、お葬式でも
用いている四華、紙華は
この故事をならってのことです。

禅のことば

2020.02.11

涅槃図から

涅槃図の左上を見ていきたいと思います。

ここでとても大切なヶ所は、
木に描かれている”袋”です。
多くでは、摩耶夫人がお釈迦さまのために
投じた薬の入った袋
とされております。
「投薬」とは、この故事がもとになったともされております。

一方で、こちらの袋の後ろには
錫杖が描かれています。
錫杖と袋はお釈迦さまが常に所持しているもので
袋の中身は、三つの衣と托鉢にも使用する器なのではないかとも
考えられています。
最近では、薬の入った袋ではなく
お釈迦さまの所持品を枕元に描かれているとされております。

禅のことば

2020.02.10

摩耶夫人


右上の摩耶夫人ですが、
なぜお釈迦さまをお産みになった
7日後に亡くなったのだろうか?
調べてみますと、
応身仏世尊(おうしんぶっせそん)(お釈迦さまののこと)は、
兜率天(とそつてん)(弥勒菩薩のいる所)での寿命が終えると、
私たちのいる世界にて法を説かれることになっているそうです。
その為、お釈迦さまは父である浄飯王(じょうぼんのう)と
母である摩耶夫人のもとに産まれたそうです。
また、摩耶夫人が7日後に亡くなるということも
あらかじめわかっていたそうです。
なぜなら、摩耶夫人が長命であったとしたら、
仏陀となる息子の扱いを間違ってしまう可能性があるかのようです。
摩耶夫人は亡くなった後、忉利天(とうりてん)という
世界(6つあるなかの1つ)にて
生まれ変わり帝釈天の后(きさき)となられたそうです。
寅さんで有名な柴又~
帝釈天は、
忉利天の主として須弥山(しゅみせん)の頂上にある
地界を支配するという存在であります。
しかも常にあの”阿修羅”と戦っているようでもあります。

調べてみますと
とても深く大変面白いです
また、次回の更新へ

禅のことば

2020.02.09

涅槃図には

涅槃図とは、

お釈迦さまが亡くなられた時の様子を描いたものです。
この涅槃図には、お釈迦さまの入滅という悲しみの中、
命の終焉と、教えの永遠
が描かれていると思います。


お釈迦さまは、自分の亡くなる日を
決められていたそうです。
なぜ2月なのか?
それは、陽春であり、万物が成長しはじめ、動物が産み育てられ、
この世界が不滅であることをかんじられるからだそうです。
誕生や成道は8日であるのに
15日を選ばれたのは、
月が満々としてすこしも欠けていない満月、
お釈迦さまの教えが欠けることなく
明るく輝く月の光のように
人々の心を照らし、この世を照らす
満ちわたるからである。ともされているそうです。

涅槃図の右上に雲の上にのり
降りてくるグループが描かれているが、
先頭は、お釈迦さまの十第弟子の1人
天眼第一とされる、阿那律(あなりつ)アヌルダとも呼びます方です。
その後方には、
お釈迦さまの母である
摩耶夫人(まやぶじん)です。
お釈迦さまを出産された功徳により
特別に戻ってこられました。

3 / 16412345...102030...最後 »

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

カテゴリー

最新の投稿

アーカイブ