曹洞宗 常圓山 皎月院

法要

2020.03.31

3月最終日

本日は、祖母の祥月命日です。

昨日、住職と共に川崎市麻生区早野にあります

住職の実家である

芳林山 戒翁寺に行ってまいりました。

 

祖母は平成20年3月31日

慈覚妙操禅尼(じがくみょうそうぜんに)

そして

祖父も同じ平成20年12月30日が命日です。

戒翁寺31世 大乗定彦大和尚(だいじょうじょうげん)

今回 称名十三回忌(しょうみょうき)として

法要をとりおこないました。

最後に記念撮影

禅のことば

2020.03.30

袈裟詩

江戸時代末期

新潟県三島郡出雲崎町

山本以南の長男として1758年誕生。

号は大愚

名は良寛。

禅僧であり、

詩僧でもあった

良寛さんによる

お袈裟の詩があります。

 

 

『大哉解脱服  (大なるかな解脱服)

無相福田衣    (無相福田衣)

仏々方正伝    (仏々方に正伝)

祖々親受持    (祖々親しく受持す)

非広復非狭    (広きに非ず復狭きに非ず)

非布也非糸    (布に非ず也糸に非ず)

恁麼奉行去    (恁麼に奉行し去かば)

始称衣下児    (始めて衣下の児と称せん)』

 

 

【たとうる術もないこの大いなる袈裟、解脱の服。

田相にかたどり、有無執着を超越した袈裟。

仏から仏へと間違いなく伝えられ、

高祖方も絶えず身のそばに置いて大事に護持して来た。

広い狭い、大きい、小さいなどの問題ではない。

でき上がった袈裟は布か絹かも関係なく、それは袈裟そのものである。

さて、それでは仏弟子としてはどのようにして生き、修行すればよいのか。

このままで本当に袈裟を身に着けた仏弟子といえるのであろうか。】

 

 

禅のことば

2020.03.24

搭袈裟偈

私たちが身に着けるお袈裟ですが、

身に着ける前には必ず偈文をお唱えしております。

(修行道場では早朝坐禅後皆で、1人なら小声にて)

 

《搭袈裟偈》

『大哉解脱服(だいさいげだっぷく)

無相福田衣(むそうふくでんえ)

披奉如来教(ひぶにょらいきょう)

廣度諸衆生(こうどしょしゅじょう)

 

《搭袈裟の偈(たっけさのげ)》

「大いなる哉、解脱の服

無相なる福田の衣

如来の教えを披し奉りて

廣く諸の衆生を度せん」

 

このような偈文を3度お唱えしてから

お袈裟を身に着けております。

 

季節

2020.03.24

満開

朝晩はまだまだ気温も低いですね。

とくに本日は風が強かったです。

桜は満開でとても綺麗ですが、

強風により少しずつ花びらが

風によって運ばれておりました。

 

禅のことば

2020.03.24

お袈裟2

お袈裟は今でこそ

作務衣の上から着けたり、

衣の上に斜めに着けていますが、

当時は衣服でありもっと小さく身体に密着して、インドの暑い場所でしたので、上下別々に別れており普段の実用衣であったのだとも思います。

それから、月日が経つにつれ装飾的に着飾るようになられたのかと思います。

今でも当時のような衣をと考えており

縦横の長さは3対5となって考えてます。

お釈迦さまは、人間として生きているうちに、仏弟子が着る衣服や生活の基準や方法、しかも人間として生まれた尊さ、さらには生きていく指針をも導かれ本当に細部にわたって多くの規範となる教えを私たちに残されてくださいました。

ですのでやはり、お袈裟を着けることは仏さまの心を身にまとうということになるのではないのかと思います。

本来であれば、自分の身に着けるお袈裟は

自分自らが縫うことがほんとうなのでしょう。

私も必修しなければならないとは思いつつ

後回しになっており、不甲斐なく思っております。

お地蔵さまの

お帽子や前掛けの作成も

素晴らしい仏道修行です。

お寺、お地蔵さまへの御寄進いただき、

大変ありがとうございます。

これからも変わらずに

また新規でも皆さまの御寄進を

どうぞよろしくお願いいたします。

 

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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