曹洞宗 常圓山 皎月院

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御詠歌

2020.06.12

曹洞宗の詠讃歌

ざっくりですが

曹洞宗の詠讃歌は

『梅花流』詠讃歌と言います。

昭和27年(1952年)の高祖常陽大師道元禅師七百回忌大遠忌の記念事業として、

曹洞宗の新たな布教活動方法の一つとして御詠歌の推進が本格的に始まりました。

昭和20年に第二次世界大戦終戦後あたりから曹洞宗にも詠讃歌を取り入れたいとなられたようです。

この頃の時代背景を考えますと、

戦後ということで社会、経済的にも極めて厳しく困窮であったと思います。

その暗い状況下を耐え忍んでいるなか、少しでも明るい兆しや思いを互いに共有することを布教方針にとり込まれたのではないだろうか?(詠讃歌だけでなく)

また、昭和22年、当時曹洞宗大本山永平寺の貫主(住職)熊澤泰禅禅師が

「梅はこれ曲直硬軟槎槎牙牙多種多様にして、しかも凛乎として風致を保ち、山間に水村に所を厭わず寒苦を経て清香を発する」と

梅の素晴らしさを述べられております。

これにはもちろん前後があり、坐禅の布教や歴代の祖師方の寒苦の練行をもとにした話でございますが省略してます。

梅の花は、寒い冬をじっと耐え忍び、美しく香りのよい花を春に咲かす姿に重ねられ

戦後の困窮にあえぐ社会情勢にも、辛抱強く耐え抜き、来るべき開花の春を感じさせる明るい布教であったのではないかと思います。

同時期に熊澤禅師の補佐役、永平寺の監院(お寺の監督役)であったのが、静岡県洞慶院のご住職、丹羽佛庵老師でした。

曹洞宗の詠讃歌の流派が、「梅花流」となったのは、実は丹羽佛庵老師の尽力があったからこそなのです。

昭和26年9月8日にサンフランシスコ条約が調印されたことにより連合国が日本からの撤退が決定。

その12月に曹洞宗の詠讃歌が「梅花流」とされた経緯が発表され、それが残されております。

「正法流、芙蓉流、梅花流など、いくつかの名称が挙がったが、両祖さまに関係のある言葉を使用しなくては意味がないということから、高祖さま(道元禅師)(の書物である)『正法眼蔵』「梅華」の巻、および中国に在られた時の大梅山の「梅花の一枝」の霊夢、特に梅の花を好まれたこと、太祖さま(瑩山禅師)の『伝光録』中の「梅華」という言葉に因んで、梅花流の名称を、委員会において決定」

このように、何年もかかりながらもしっかりと土台の基を作られ少しずつ「梅花」という言葉を親しみやすくされた経緯もありました。

「厳しい寒苦の時を経て、清香を放つ」曹洞宗の詠讃歌、梅花流開花の時を迎えたのでした。

 

明日13日は、皎月院の施食会法要です。

新型コロナウイルスの影響により参拝は中止とさせて頂きます。

また

卒塔婆建立はお寺にてさせて頂きます。

御詠歌

2020.03.21

お彼岸お中日

今年の春分の日は

時より突風がありましたが

暖かくお参り日和でした。

曹洞宗梅花流詠讃歌『彼岸御和讃』

二番

「あまねく施し戒めて

日に夜に励むもろびとに

彼岸の花の美しさ

ああ爽やかにこの宴

妙なる調べ夢ならず」

お釈迦さまの教えに

六波羅密(ろくはらみつ)6つの修行徳目あります。

この二番では、布施、持戒(じかい)、精進が

読み込まれてます。

布施は、物や教えを施すこと。

持戒は、自分をいましめ、節度のある生活をすること。

精進は、いまこの時を一生懸命に歩み、努めること。

この時期には、たくさんの花が咲き始め、

明るく微笑みかけています。

ああ、この素晴らしい季節ありがとう。

仏さまやご先祖さまに感謝をしめすこころが

爽やかな風にのって聞こえてくるかのようです。

 

 

 

 

 

 

 

季節 御詠歌

2020.03.19

彼岸御和讃

皎月院先代住職
20世文乘泰明大和尚

曹洞宗梅花流詠讃歌
「彼岸御和讃」
1番
『山川険しき世なれども
仏の教えひとすじに
彼岸に至るしあわせよ
あああめつちに陽はうらら
久遠(くおん)の救いここにあり』

「山川険しき世」とは、
ここ最近の世の中のことではないでしょうか?
猛暑や豪雨による災害、暖冬にウィルス
さまざまな苦労のある人生にたとえられてます。
私たちが生きていくには
多くの苦労や困難がありますが、
お釈迦さま、仏祖の教えが私たちの道しるべとなり、
六波羅密の実践をすることにより
彼岸へと到る歩みとなるのではないでしょうか。
私たちは人として生まれ
何て幸せなんだろう。
最近では春のように暖かいひざしが降り注ぎ
桜や梅、たくさんの植物が
芽をひらき、今ここに
天地の生命がここにあらわれているようです。

御詠歌

2020.01.21

誕生御和讃

正治2年 1200年1月2日
現在では、1月26日とされておりますが、
高祖承陽大師道元禅師さまの
誕生日です。

梅花流詠讃歌では、
『高祖承陽大師道元禅師誕生御和讃』
がございます。
こちらの曲は、昭和27年の発足時に発表されました。
またこちらの曲は
真言宗の『密厳流誕生和讃』の
メロディーをいただいております。

二番
《御法(みのり)の御子(みこ)の誕生に
天はほがらか地はのどか
歓喜(よろこび)みちて今日よりは
仏の国土(みくに)あらたなり》

道元禅師さまの誕生を
この上なくお慶び申し上げている曲であると思います。
1200年に生まれた頃は
権力が公家から武士へと移行しつつあった頃で、
源頼朝が鎌倉幕府を開かれ8年目。
日本の政治だけではなく
天候不順や地震、多くの自然災害も
多かった頃でもあったようです。
その為、道元禅師さまの誕生は
とても明るく希望にみちた
存在だったのではないだろうか?

南無高祖承陽大師道元禅師

御詠歌

2019.12.09

御詠歌 明星

「大聖釈迦如来成道御詠歌」

明あけの星 仰(あお)ぐ心は 人の世の 
光となりて天地(あめつち)にみつ

明星(みょうじょう)と言うタイトルでもあります。

12月8日は、お釈迦さまがおさとりを開かれた「成道」の日です。

29歳で出家されたお釈迦さまは、
いのちがけの修行を6年間続けられました。
からだはすっかり痩せ衰え、骨と皮だけになっていました。
「苦行」をやめ、
そして、身体を浄め、スジャータによるミルク粥の供養を受け
菩提樹の下でしずかに坐禅を組み、心を深められました。
8日目の朝、東の空に夜明けの明星が輝くころ、
心の闇はついに放たれ
さとりを得られたのです。

「明けの星仰ぐ心」とは、
お釈迦さまがおさとりをひらかれる機縁となった明星、その教えといえます。
お釈迦さまの成道を慕い尊敬する意味が含まれていると思います。
お釈迦さまの出家の理由とされる人の苦しみを取り去るには、
苦しみの原因を取り除く正しい行動を繰り返すことによって解決できる。と説かれています。
「我、大地と有情と同時成道す」
(私も大地も生きているすべてのものが同時にさとりを開いた)
これが
「人の世の光となりて天地(あめつち)にみつ」
と表現されている歌詞かと思います。


明星とは金星です。
金星は2019年11月ごろから2020年5月ごろまで、
「宵(よい)の明星」として見えています。
夕方から宵のころに西の空でひときわ明るく輝いています。

「宵の明星」が空に沈んでいく金星であるのに対し、
「明けの明星」とは、空に昇っていく金星を意味します。

皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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