曹洞宗 常圓山 皎月院

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禅のことば

2020.02.15

涅槃会

南無釈迦牟尼佛

涅槃図を見ますと、
お釈迦さまが亡くなられるときの
情景を描いたものですが、
お釈迦さまは、旅の途中で亡くなられました。
ですが、
出家をするきっかけとなった
無常や四苦八苦の四苦である
生・老・病・死。
お釈迦様は、肉体の衰えの老いも
痛みや苦しみの病も経験され
この世は無常であることを
多くのお弟子に対して自らの身をもって入滅。
人はこのように満足し、笑顔で安らかに
死んでいけるものだと、お示しになられました。

南無釈迦牟尼佛

禅のことば

2020.02.14

涅槃図より

明日2月15日は
お釈迦さまの御命日です。

お釈迦さまが最期に召し上がったものは
茸料理が1番有力視されております。
この食事をお釈迦さまへと供養されたのが
“純陀”(じゅんだ)という鍛治工の子です。
お釈迦さまの御説法を聞き、発心して
心尽くしの料理を布施されました。
しかし、その料理が原因で
お釈迦さまは体調を崩され涅槃へといたらしめました。

ですが、お釈迦さまは
成道の時に初めて供養した者も、
滅する前最期に供養したものも、
等しくその功徳は変わらないものであるとしております。

お釈迦さまの常に側にいて
多くの御説法を聞いていた
多聞第一と言われている
阿難(あなん)尊者
お釈迦さまの父上の弟の子供であり、
お釈迦さまとは従兄弟です。
阿難は、お釈迦さまの涅槃により
正気をなくし倒れこんで横たわっております。

禅のことば

2020.02.12

涅槃図より

横たわっております
お釈迦さまの周囲に8本の
沙羅双樹。
沙羅は仏の自在神力を示すのです。
八本の沙羅の樹のうち、
四本はお釈迦さまの御説法が終わると
たちまち枯れてしまい
他の四本は
青々と栄えました。
これを”四枯四栄”(しこしえい)と言います。
お釈迦さまの色身(身体)は涅槃に入りたまえども(四枯)
説かれし仏法は後世に残りて栄える(四栄)

お通夜、お葬式でも
用いている四華、紙華は
この故事をならってのことです。

禅のことば

2020.02.11

涅槃図から

涅槃図の左上を見ていきたいと思います。

ここでとても大切なヶ所は、
木に描かれている”袋”です。
多くでは、摩耶夫人がお釈迦さまのために
投じた薬の入った袋
とされております。
「投薬」とは、この故事がもとになったともされております。

一方で、こちらの袋の後ろには
錫杖が描かれています。
錫杖と袋はお釈迦さまが常に所持しているもので
袋の中身は、三つの衣と托鉢にも使用する器なのではないかとも
考えられています。
最近では、薬の入った袋ではなく
お釈迦さまの所持品を枕元に描かれているとされております。

禅のことば

2020.02.10

摩耶夫人


右上の摩耶夫人ですが、
なぜお釈迦さまをお産みになった
7日後に亡くなったのだろうか?
調べてみますと、
応身仏世尊(おうしんぶっせそん)(お釈迦さまののこと)は、
兜率天(とそつてん)(弥勒菩薩のいる所)での寿命が終えると、
私たちのいる世界にて法を説かれることになっているそうです。
その為、お釈迦さまは父である浄飯王(じょうぼんのう)と
母である摩耶夫人のもとに産まれたそうです。
また、摩耶夫人が7日後に亡くなるということも
あらかじめわかっていたそうです。
なぜなら、摩耶夫人が長命であったとしたら、
仏陀となる息子の扱いを間違ってしまう可能性があるかのようです。
摩耶夫人は亡くなった後、忉利天(とうりてん)という
世界(6つあるなかの1つ)にて
生まれ変わり帝釈天の后(きさき)となられたそうです。
寅さんで有名な柴又~
帝釈天は、
忉利天の主として須弥山(しゅみせん)の頂上にある
地界を支配するという存在であります。
しかも常にあの”阿修羅”と戦っているようでもあります。

調べてみますと
とても深く大変面白いです
また、次回の更新へ

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皎月院 こうげついん 副住職プロフィール

皎月院副住職 清水 亨龍

清水 亨龍 こうりゅう

御縁をありがとうございます。
駒大高校、駒澤大学卒業後平成13年冬に大本山永平寺(福井県)へ安居(修行)。平成15年より北海道へ修行。平成23年4月より皎月院へと戻り副住職として補佐をさせて頂いております清水亨龍(こうりゅう)です。 合掌

私の趣味はクライミング、スノーボードなど身体を動かす事です。また旅行も大好きです。ぜひ皆さま気軽にメールやお電話お待ちしております。

どうぞよろしくお願いします
(^人^)

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